島根県出雲市別所町
中国三十三観音霊場 第25番/出雲國神仏霊場 第2番/出雲観音霊場 第3番
594年、推古天皇の勅願により、智春上人が創建したお寺らしい。 1151年に松江で生まれた弁慶が、18歳から3年間、このお寺で修行をしたらしい。 その後、姫路・書写山、比叡山と移り、そして源義経の家来となり国内を転戦したが、 壇ノ浦の合戦で平家を滅ぼした後、再び鰐淵寺に身を寄せ、多くの伝説&遺品を残したらしい。 特に、弁慶が、大山寺から鰐淵寺まで、梵鐘を一夜で運んだ伝説が有名らしい。 平安時代末期、後白河法皇が集成した梁塵秘抄に『出雲の鰐淵や日の御碕』と歌われており、 平安時代末期頃には修験行場として発展し、日本全国に知られるお寺になったらしい。 平安時代以降、鰐淵寺は比叡山延暦寺との関係を深め、慈覚大師がこの地を訪れた際、天台宗寺院になったらしい。 戦国時代、尼子氏と毛利氏との戦があったらしい。 毛利氏が出雲に侵攻した際、鰐淵寺の栄芸が一貫して毛利氏を支持したらしい。 毛利氏が勝利した後、鰐淵寺は毛利氏の保護を受けることとなったらしい。 江戸時代以降、衰退し、現在に至るらしい。
2009年7月20日
2泊3日・山陰旅のラストを締めるのは鍔淵寺! 鍔淵寺は、あの弁慶が修行したお寺という!なもんで、弁慶を感じる為に、境内の隅々まで弁慶の影を探して周りました。 しかし、本堂&参道、どこを歩いても弁慶の影を感じる事ができず。 残された場所は、弁慶が修行したと思われる奥院の滝。 その滝に行くには川を渡らないと行けないのですが、先日の記録的豪雨のせいで川が増水…。 誰がどう見ても川を渡れそうにない感じでした!ゴウゴウと流れる川の前で足がすくむ。 でも弁慶が見たであろう景色を見たい。そんな衝動にかられた私は、川の流れが緩やかな場所を探しだし、服を着たまま川に入水。 ヤッホーい、何かめっちゃ楽しくなってきたぞ! 無事、川を渡りきって、薄暗い山道を登ること約20分。先日の雨でヌルヌルの道、断崖絶壁、かなり危険度が高めな山道でしたが、無事、奥の院に到着! 奥の院に辿り着いた時、あまりの神秘さに言葉を失っちゃいました!マジで感動でした!人間、マジで感動してしまうと言葉が出ません! 今、見ている景色は、きっと弁慶も見た景色…と信じ。奥の院を去る時、滝に向かって、アリガトーって叫ぶ。なぜか、滝にお礼を叫ぶ私。 ちなみに、川が増水してない日は、川の中を歩く事なく川を渡れるらしいです。そんなこんなで、奥の院に行く時は天気が良い日に!
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■駐車場■
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■仁王門■
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■仁王門■
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■仁王門■
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■仁王門■
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■仁王門■
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■鰐淵寺川■
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■参道■
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■十王堂■
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■参道■
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■参道■
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■根本堂■
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■根本堂■
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■根本堂■
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■根本堂■
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■鐘楼■
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■鐘楼■
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■手水舎■ |
■釈迦堂■
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■摩陀羅神社■
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■摩陀羅神社■
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■根本堂と摩陀羅神社■
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■根本堂と三台杉■
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■奥の院へ続く道■
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■奥の院へ続く道■
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■奥の院へ続く道■
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■奥の院へ続く道■
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■奥の院へ続く道■
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■山王 七仏堂■
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■奥の院へ続く道■
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■弁慶籠堂跡■
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■奥の院 蔵王堂■
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■奥の院 蔵王堂■
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■奥の院 蔵王堂■
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■奥の院 蔵王堂■
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■奥の院 蔵王堂■
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■顔ハメ■
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