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歓喜寺

■場所

広島県広島市安佐南区祇園

■由緒

884年、僧・宥尊が、武田山麓・南下安松尾山 に開基したのが始まりらしい。創建当時は徳達寺という寺名だったらしい。 1583年、祇園社(現・安神社)の境内に移転し、祇園社感神院と称したらしい。 神仏習合の寺社で、感神院の住職が明治維新直前まで祇園社の宮司を兼務していたらしい。 1871年、神仏分離令により、祇園社は安神社に、感神院は廃寺の危機に陥ったが現在地に移転し歓喜寺と改称したらしい。 現在は無住のお寺で地域の人々が管理しているらしい。

■参拝日

2018年11月29日

■日記

本日は安芸武田氏の本拠・銀山城跡がある武田山で山登りをした後、 武田山周辺の安芸武田氏ゆかりの寺社を巡っております。← やたらと武田が目立つ見苦しい文章ですみません。 この歓喜寺はもともと安芸武田氏ゆかりの安神社の境内にあったお寺とのことです。寺名から連想するのはやはり歓喜天! 大好きな歓喜天!もしかしたら歓喜天さんが拝見できるかも?とワクワクしてましたが、どうやら寺名と歓喜天さんは関係がない模様。 またしても歓喜天さんに出会うことができず・・・いつになったらお会いできるのか歓喜天さん。← 今度は歓喜天さんだらけの文章になってしまった! そんな事より、境内入口には大年神社の鳥居。どうやらこのお寺は大年神社の境内に建ってる模様。 しかし大年神社がものすごく小さい為、どっちがメインなのかわからなくなってしまうという、なんだか不思議な感覚に陥るお寺でした。

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■大年神社の鳥居■


到着!

■大年神社の鳥居■


大年神社の鳥居をくぐると

■大年神社と歓喜寺■


大年神社に来たつもりが
まさかの神仏習合!
って事で
大年神社で参拝後
お隣りの歓喜寺に到着!

■鐘楼■


この地はもともと
安芸武田氏の出城が
あった場所で
その出城には兵糧を貯蓄する
米庫があったとのこと
明治の中頃まで焼けた米が
出土していたらしい

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■本堂■


もともとは
真言宗のお寺でしたが
現在は無住のお寺で
地域の人々が
管理しているらしい

■本堂■


堂内
ご本尊は薬師如来さん

■本堂■


あの手のひねりっこちゃんは
あの方に間違いない
かすかに弘法大師さんのお姿が
確認できました

■武田一族の墓石■


大年神社の本殿横にあります

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■境内の風景■


本堂と鐘楼

■境内の風景■


大年神社の本殿前から望む
気持ちがいいくらい何もない!
見ようによっちゃ
武田山を借景にしたお庭のよう

■絹本著色不動明王■


寺宝として
室町時代後期作の
絹本著色不動明王があるらしい
ちなみに現在は
広島市郷土資料館に
保管されてるらしい

ひと足のばして
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武田一族郎党のお墓


めちゃくちゃ
探しまくって発見!

武田一族郎党のお墓


毛利氏との合戦に敗れ
討死した武田一族郎党の
お墓らしい

武田一族郎党のお墓


遺跡感あふれる石積みに
手を合わす

武田一族郎党のお墓


めちゃくちゃ
わかりにくかったので
余計なお世話かも
知れませんが
簡単で適当な地図を