鳥取県鳥取市鹿野町鹿野
1449~1452年に開かれたお寺らしい。 戦国時代、下剋上の世にあって一貫して主君・尼子氏のために命を掛けて戦った武将・山中鹿之介の菩提寺らしい。 山中鹿之介は、毛利氏との争いに敗れた尼子氏を再興するため、近畿&中国地方の各地で転戦するが、 播磨国・上月城に追い詰められ捕われの身となり、備中高梁川の渡し場で斬殺されたらしい。 鹿野城主・亀井茲矩は、鹿之介の養女・時子を妻とし血縁が深く、共に戦場を駆け巡った間柄だったため、 鹿之介の遺骨を鹿野に持ち帰り、お寺とお墓を建立したらしい。 山中鹿之介の本名が山中幸盛という事から、幸盛寺と名付けたらしい。
2009年9月21日
あの山中鹿之介のお墓がある幸盛寺にやってまいりました! 密かに山中鹿之介ファンの私である。 鹿之介のお墓で手を合わせ、西陽が射し込む境内にて1日の終わりを感じました。 思えば、本日のお寺巡りは、後藤又兵衛→荒木又右衛門→山中鹿之介……お寺巡りをしてるつもりが、気が付けばお墓参りになってました! そんなこんなで、2泊3日の鳥取旅は静かに幕を閉じました。
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■山門■
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■本堂■
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■山中鹿之介のお墓■
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■山中鹿之介のお墓■
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