鳥取県鳥取市栗谷町
1632年、備前藩・池田光仲と、鳥取藩・池田光政の国替えに際、岡山藩初代藩主・池田忠継の菩提寺を移転したのが始まりらしい。 移転当時は龍峯寺という寺名だったらしい。 その後、住職は黄檗宗への改宗を願い出て、鳥取藩主・池田光仲はそれを認めたらしい。 しかし、妙心寺はこれを不服とし改宗を認めず、両者間で争議が起こったらしい。 結局、池田光仲が没した後に、寺号を返納する事で和解が成立したらしい。 1694年、興禅寺という寺名になったらしい。 江戸時代、鳥取藩主・池田家の庇護のもと、仙台藩・伊達家の大年寺、長州藩・毛利家の東光寺と並んで黄檗宗の三大叢林として栄えたらしい。 明治時代、廃藩置県により、藩の支援が途絶え、衰退していったらしい。 池田家代々の菩提寺ではあるが、境内には墓所はなく、鳥取市国府町奥谷に墓所があるらしい。
2009年9月20日
本日の朝、摩尼寺にて鳥取県観光ガイドを頂きました。 そのガイドを読んでいると、この興禅寺がピックアップされていたので立ち寄ってみることに。 この興禅寺は黄檗宗という事なので、中華チックな丸窓でした。 思えば、黄檗宗への参拝は久々だなぁ。 それにしても、鳥取県観光ガイドにピックアップされてるわりにはサクッとしたお寺だったなぁ。 と思ったのもその日だけ! 家に帰って、パソコンで興禅寺を調べてみると、素敵な庭園あり~の、キリシタン灯籠あり~の、渡辺数馬のお墓あり~ので、 実はメッチャ見所満載のお寺でした! オ~マイゴッド!何の予備知識を持たずアドリブで行動するのは私の悪い癖じゃ。
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■境内入口■
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■鐘楼■
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■本堂■
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■本堂■
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■書院■
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