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龍潭寺

■場所

滋賀県彦根市古沢町

■札所

近江湖東二十七名刹霊場 第2番/びわ湖百八霊場 第55番

■由緒

734年、行基が遠江国に開基したお寺らしい。1385年、後醍醐天皇 第三皇子・宗良親王が中興し、寺名を龍潭寺としたらしい。 1600年、井伊直政が佐和山城主となったのを機に、遠江国から佐和山麓に移建開山したらしい。 1617年、諸堂が完成した後は、近江国随一の禅刹となり、10余りの末寺を有する巨刹となったらしい。 さらに全国有数の禅宗大学寮として発展したらしい。特に園頭科は、日本の造園専門学の発祥とされ、このお寺で学んだ僧達が全国の禅寺の庭園を手がけたらしい。 1688~1704年頃からは、達磨さんにあやかる『だるま寺』として人々の信仰を集めたらしい。 ちなみに龍潭寺と書いて『りょうたんじ』と読みます。

■参拝日

2012年10月20日

■日記

清涼寺で参拝後、龍潭寺に到着!清涼寺同様、早朝の参拝って事で境内には参拝者はおらず、私の足音と鳥の鳴き声と葉っぱがコスれる音のみのBGM。 それにしても、ステキなお庭でした!私好みの小さな枯山水庭園。こんなにもステキなお庭を独り占めしている…いやはや極幸っ! 本日2寺目にして、早くも今日はここ以上のお寺には出逢えないだろうなぁとさえ思えたほどステキなお庭でした! そんなこんなで、久々に何も考えずにボケーと過ごせたひと時でした。いや、何も考えずにって言うより、寝てないせいで何も考えられなかっただけかも知れん。 そんな事より、方丈内にはドでかいダルマさんが居たり、たくさんの襖絵があったりして見所たくさんのお寺でした!

■ご朱印■

ご朱印

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■境内入口■


到着!

■総門■


コンクリート製

■総門■


総門をくぐると

■参道■


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■山門■


1735年建立

■山門■


組物

■参道■


境内はとてもグリーン

■鐘楼■


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■方丈■


1617年建立

■方丈 龍潭晩鐘■


佐和山城にあった陣鐘を
彦根2代藩主・井伊直孝より
拝領したものらしい

■方丈■


方丈内

■方丈 桜の図■


桃山時代作

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■方丈 ふだらくの庭■


江戸時代初期作庭

■方丈 ふだらくの庭■


大小48個の石を配して
観音菩薩の浄土である
補陀落山の一帯を
表現したお庭

■方丈 ふだらくの庭■


ひと休み

■方丈 ふだらくの庭■


朝日が清々しかった

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■方丈■


突当たりに
巨大なダルマさん!

■方丈■


ででデカい!

■方丈■


だるま寺と
呼ばれているらしい

■方丈■


可愛い前立て

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■方丈■


籠が

■方丈■


隣りの部屋まで
突き抜けてます
そんな事より
襖絵は蕉門十哲の1人
森川許六作

■方丈■


石田三成の頭蓋骨

■方丈■


石田三成の手紙

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■書院■


書院 鶴亀蓬莱庭園


江戸時代初期作庭

書院 鶴亀蓬莱庭園


開山昊天和尚と
小堀遠州合作の名庭

書院 鶴亀蓬莱庭園


ひと休み

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■大洞観音堂■


■七福神■


■石田三成像■


石田三成は
安土桃山時代の武将&大名で
豊臣政権の五奉行の1人

■石田三成像■


おぉ~!
彦根に来たぞーって
実感しました

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■大久保忠隣 幽居之跡■


大久保忠隣は
戦国時代~江戸初期の武将で
相模・小田原藩の初代藩主

■瓦土塀■


ステキです

■絵馬①■


■絵馬②■


ひと足のばして
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■佐和山■


標高233m

■佐和山城跡■


主な城主は
丹羽長秀、石田三成
井伊直政など