■場所
山口県下関市長府
■概要
奈良時代から山陽道の中継地として栄えていた町らしい。
奈良時代、この地に国府が置かれ、国分寺が置かれていたらしい。
長門国府が略されて長府となったのが地名の由来らしい。府中と呼ばれていた時期もあったらしい。
江戸時代、長府毛利藩5万石の城下町として栄えた町らしい。
■訪問日
2016年8月11日
■日記
青春18切符の旅。本日は九州に行っちゃおうと思い始発電車に乗るも、乗り換え駅を寝過ごしてしまい、予定を白紙に。
そもそも九州に行って、どこに行くとか予定を立ててない適当旅だったので、寝過ごしたところで、ほぼほぼノーダメージ。
そんなこんなで、適当旅 → 超適当旅に変更。久々に長府の町並みを感じたくなったので、JR・長府駅で下車しました。んでもって、バスで城下町に到着!
住宅の侵略により、城下町を感じれるポイントが分散されてるけど、随所随所で江戸を感じれるのでウキッとする町並み。
素朴で古ぼけた町並み。白壁の町並みもステキだけど、白壁が崩れた町並みもステキです。
■公式ホームページ
【錦帯橋】岩国市公式ホームページ >>
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■長府の町並み■
江戸時代 長府毛利藩5万石の 城下町として栄えた町
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■長府の町並み■
長府毛利藩の 家老職御馬廻役など 藩の重役&側近が 屋敷を構えていた町らしい
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■長府の町並み■
長府という地名は 大化の改新の後 長門国の国府が 置かれたことに 由来するらしい
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■長府の町並み■
古い土塀が 建ち並ぶ古江小路 情緒こぼれる ステキな町並みです
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■長府毛利邸■
1903年、長府毛利家14代 毛利元敏が建立した邸宅
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■長府毛利邸■
敷地面積は 約10000平方メートル
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■長府毛利邸■
現存する毛利邸は 防府市・毛利宗家の本邸と この邸宅のみらしい
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■長府毛利邸■
毛利秀元像 毛利秀元は安土桃山時代から 江戸時代前期にかけて 活躍した武将&大名 毛利元就の 4男・穂井田元清の長男で 長府藩の初代藩主
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■長府毛利邸■
毛利邸内では 書院庭園、枯山水庭園 池泉回遊式庭園の お庭観賞ができます
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■長府毛利邸■
そんなこんなで 休憩がてらお庭観賞
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■長府毛利邸■
やべぇ、ステキ過ぎる
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■長府毛利邸■
眠ってまいそう
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■長府毛利邸■
明治天皇ご宿泊の間 1902年、明治天皇が この間に1泊したらしい なんかスゲー
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■長府毛利邸■
ご当主の間
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■長府毛利邸■
奥様の間
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■長府毛利邸■
ステキです
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■長府毛利邸■
細い廊下
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■長府毛利邸■
玄関には 川端玉章作の丹頂鶴と青竹図
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■長府毛利邸■
展示室
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■長府毛利邸■
茶室・淵黙庵は 明治時代建立 2004年移築
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■菅家長屋門■
江戸時代後期建立 菅家は侍医兼侍講職を 務めた格式ある家柄らしい
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■長府藩侍屋敷長屋■
江戸時代後期建立 長府藩御馬廻役 西家の屋敷にあったものを この地に移築
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■旧野々村家表門■
江戸時代後期建立
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■三吉周亮邸跡■
三吉周亮は 江戸時代後期に活躍した 長府藩の家老 坂本龍馬から 相談を持ちかけられたことも あったらしい
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■大庭柯公旧宅■
大庭柯公は 明治時代~大正時代に 活躍した新聞記者
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■桂弥一旧宅■
桂弥一は 明治維新の志士達の 事跡を後生に伝える為 尊攘堂(下関市立長府博物館)を 建設した人
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■御影の井戸■
901年、菅原道真が 太宰府へ左遷される際 この井戸に顔を映し もう2度とこの地に 来る事はないと嘆いた井戸
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■壇具川■
神功皇后が三韓征伐の際 祭壇を築き天神地紙を祭り その祭壇に用いた道具を この川に流したということから 壇具川と呼ばれているらしい
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■長府の町並み■
ステキです
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■長府の町並み■
また来よ
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