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いろは丸展示館

■場所

広島県福山市鞆町鞆

■概要

1867年4月23日夜、坂本龍馬ら海援隊が搭乗するいろは丸と、紀州藩の軍艦・明光丸が瀬戸内海六島沖で衝突したらしい。 いろは丸は大破し沈没したらしい。 1989年、地元の有志で結成された『鞆を愛する会』と専門家が潜水調査を行い、鞆の沖・海底20mに眠るいろは丸の残骸を発見したらしい。 そんなこんなで、いろは丸の引き揚げ品を展示する為、江戸時代末期の土蔵を利用して開設した施設らしい。

■訪問日

2016年4月9日

■日記

いろは丸の引き揚げ品などが拝観できる、いろは丸展示館に行ってきました! 1867年、龍馬ら海援隊が搭乗するいろは丸と、紀州藩の軍艦・明光丸が衝突し、沈没したいろは丸。俗に言う、いろは丸事件。 龍馬は紀州藩に対し、いろは丸には大量の鉄砲や金塊が積んであったと主張し、紀州藩から30数億円という多額の賠償金をぶんどったという! しかし、発掘調査の際、海底から鉄砲や金塊などは発見されなかったという・・・やるじゃん、龍馬!恐るべし、デッカい男ぜよ。

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■いろは丸展示館■


到着!
鞆の浦のシンボル
常夜灯のすぐ近くに
位置してます

■いろは丸展示館■


江戸時代末期建立
通称・大蔵と呼ばれる
土蔵を利用した施設

■いろは丸展示館■


1867年に沈没した
いろは丸の引き揚げ品
などが拝観できます

■いろは丸展示館■


入口には坂本龍馬の
デッカいパネル

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■いろは丸展示館■


1867年4月23日
いろは丸と明光丸が
瀬戸内海六島沖で衝突

■いろは丸展示館■


いろは丸は大破し沈没
坂本龍馬ら海援隊は
明光丸に乗り移ったあと
鞆の浦に上陸したらしい

■いろは丸展示館■


こんな感じで潜水調査が
行われたらしい

■いろは丸展示館■


調査の結果
いろは丸の大きさは
全長40m、幅5.6m
という事が判明

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■いろは丸展示館■


海底20mに眠るいろは丸を
70/100で再現した模型

■いろは丸展示館■


潜水調査の様子

■いろは丸展示館■


大量の木炭が散乱

■いろは丸展示館■


いやはや浪漫

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■いろは丸展示館■


引き揚げられた
いろは丸の部品

■いろは丸展示館■


引き揚げられた
いろは丸の部品

■いろは丸展示館■


古伊万里茶碗や
ドアノブなど

■いろは丸展示館■


いろは丸事件談判記
複製です

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■いろは丸展示館■


2階は坂本龍馬宿泊跡の
隠れ部屋が
再現されてます

■いろは丸展示館■


万国航法を持つ坂本龍馬
等身大の蝋人形らしい

■いろは丸展示館■


いろは丸、いや五郎丸
忍法・五郎丸!
龍馬の視線が冷たい…