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勝鬘院 愛染堂

■場所

大阪府大阪市天王寺区夕陽丘町

■札所

西国愛染十七霊場 第1番/聖徳太子霊跡 第29番

■由緒

593年、聖徳太子が四天王寺を創建した際に建立した施薬院が、このお寺の始まりらしい。 その後、聖徳太子が人々に勝鬘経の教えを説き、そして勝鬘経に登場するお姫様・シュリーマーラー夫人(勝鬘夫人)の仏像を本堂に安置したことにより、 勝鬘院と呼ばれるようになったらしい。また金堂には愛染明王が祀られており、愛染明王信仰の普及とともに、勝鬘院全体が愛染堂と呼ばれるようになったらしい。 鎌倉時代、鎌倉幕府5代執権・北条時頼から寺領を寄進されたらしい。多宝塔は大阪市内最古の木造建造物らしい。

■参拝日

2014年1月2日

■日記

大阪空襲からまぬがれた大阪市内最古の建造物・多宝塔が残る、勝鬘院 愛染堂に到着!そんなこんなで、山門をくぐり境内へ。 古建築は多宝塔だけかと思ったら、本堂もなかなかの古オーラを放ってました!どうやら、この本堂も古い建物のようで、江戸時代に建てられたものらしいです。 大阪市内で古建築に出逢う事は滅多にないので、否が応でもテンションが上がっちゃいます! しかも本日は、ご本尊の愛染明王さんがご開帳されていたというラッキー! 愛染明王さんまでの距離は2メートルちょいくらいで、遠からず近からずな感じで、いい塩梅の距離感。 そんなこんなで、しばし仏像鑑賞。見た感じ、ベラボーに古い仏像さんじゃないっぽいけど、ご開帳というキーワードに弱いミーハーな私は、 目が焦げるまで仏像さんを目に焼き付ける。 その後、本堂を後にし、大阪市内最古の建造物である、国重文の多宝塔へ。多宝塔前にベンチがあったので、そこに座ってしばし多宝塔鑑賞。 とてもスタイルの良い、カッコいい多宝塔でした!空襲で焼かれなかった事に感謝! その後、座ると腰痛が治ると言われる石に座ったり、愛染めの霊水っていう湧き水を飲んだりしつつ、境内を満喫してました。 ちなみに勝鬘院と書いて『しょうまんいん』と読むらしいです。

■公式ホームページ

愛染さん(愛染堂・勝鬘院) >>

■ご朱印■

ご朱印

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■山門■


到着!

■山門■


山門をくぐると

■中門■


■中門■


中門をくぐると

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■金堂■


江戸時代初期再建

■金堂■


ステキです

■金堂■


ステキです

■金堂■


金堂内にて
秘仏・愛染明王さんが
ご開帳されてました

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■多宝塔■


1597年、豊臣秀吉が再建

■多宝塔■


国重文

■多宝塔■


1902年、サンフランシスコで
万国博覧会が開催された際
日本建築の代表として
この塔の模型を出展したらしい

■多宝塔■


ステキです

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■禅堂■


倉庫かと思いました

■出世白竜明神と願成稲荷明神■


願成稲荷明神は
豊臣秀吉の誕生の地・豊川の
荼吉尼天の分霊を
勧請して譲り受けた稲荷尊

■大力金剛尊■


大正時代に活躍した
天王寺区出身の横綱・大錦が
満州巡業の折に
中国から持ち帰ったもの

■大力金剛尊■


当時は大阪国技館に
奉安されていたが
昭和25年にこの地に安置

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■愛染めの霊水■


飲むと夢が叶うらしい

■延命地蔵尊■


■魚藍観音■


魚介類の供養らしい

■愛染かつら■


小説家・川口松太郎の
代表作『愛染かつら』の
モデルとなった木
この霊木の前で愛を
語り合った男女には
何があっても幸せな結末が
訪れるらしい

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■腰痛封じの石■


■腰痛封じの石■


木の根元に石があります

■腰痛封じの石■


石に座って
突起に背骨のツボを当てます

■腰痛封じの石■


そんなこんなで、座る
おいっ、なんか気持ちいいぞ

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■哲学の椅子■


■哲学の椅子■


木の根元に椅子があります

■哲学の椅子■


椅子に座り観察・思索を行って
発明や発見をしてください
とのこと

■哲学の椅子■


椅子に座って思索
…よし、次のお寺に行こう!

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■オリジナル瓦■


■顔ハメ■


■愛染坂■


天王寺七坂の1つ
山門を出てすぐの
ところにあります