大阪府大阪市天王寺区逢阪
法然上人二十五霊跡 第7番
1185年、法然上人が四天王寺の西門の坂のほとりに草庵を結んだのが始まりらしい。 後に、後白河法皇が四天王寺参詣の際に訪れて、法然上人と共に日想観を修したらしい。 1596年、三河の僧侶・本誉存牟上人が法然上人の旧跡であるこの地で一千日の念仏修法を行い、寺を再興したらしい。 大坂冬の陣・大坂夏の陣で、徳川家康の陣が置かれたお寺らしい。 1945年、大阪大空襲で、小堀遠州好みの八窓の茶室や、大坂城の三の丸玉造門を移設した山門など、全てを焼失したらしい。
2014年1月2日
第29回 青春18切符の旅、3日目!JR 天王寺駅から徒歩15分、一心寺に到着! 一瞬、美術館にでも来てしまったのかと思わす、超アーティスティックで未来系の仁王門に衝撃!まるでパビリオン! 100年後の寺社は、こんな感じになってるかも知れません! 仁王さんも、洋風なテイストでアーティスティック。それにしても、ものすごい数の参拝者でした! 特に骨仏が安置された納骨堂の前は、ギッシリと人で埋め尽くされてました! この骨仏という仏像さんは、なんと人骨で造られてるという!人骨を砕いて粉状にし、コンクリートやセラミックと混ぜて造るんだとか! 多分きっと、ものすごいカルシウム! 骨仏は10年に1体開眼するらしく、現在7体が安置されてるという!1体の骨仏を造るのに、一体全体、何人分の骨が使われてるのだろう。 遺族の方にとっては、骨仏=お墓だから、納骨堂の前にいた大半の人はお墓参りだったんだろうなぁ。 自分の骨もここでリサイクルしてもらおうかな。いつか死期を悟ったら遺言書に書いとこうかな。 でもなぁ、もしかしたら世界一大嫌いなヤツと同じ骨仏になる可能性もあるしなぁ。 もしそうなったら、死後の世界では毎日最悪な日々を過ごすことになりそうだしなぁ。 その逆で、もっすごい大好きなアイドルと同じ骨仏になったりした日にゃ、毎日がドッキドキ! そんな事より、納骨堂の次に人が多かったのは、受付のお堂でした。長蛇の列で、もっすごい人の数! まさか、骨仏の受付待ちじゃないよな?何か知らんけど、今までに感じた事のない不思議な気持ちになるお寺でした!
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■仁王門■
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■仁王門■
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■仁王門■
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■仁王門■
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■仁王門■
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■仁王門■
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■仁王門■
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■仁王門■
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■手水舎■ |
■鐘楼■ |
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■本堂■
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■本堂■
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■開山堂■ |
■開山堂■
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■納骨堂■
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■納骨堂■
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■納骨堂 骨仏■
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■納骨堂 骨仏■
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■納骨堂 骨仏■
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■納骨堂■ |
■受付堂■ |
■日想殿■ |
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■不動明王さん■ |
■開山堂とあべのハルカス■ |
■墓地と通天閣■ |
■灰皿■
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■帰り道■
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ひと足のばして |
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■あべのハルカス■
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