奈良県北葛城郡王寺町本町
聖徳太子遺跡霊場 第19番
613年、聖徳太子が片岡山を通りがかった際、飢えて瀕死状態の異人に出会ったらしい。 聖徳太子は寒さと飢えをしのぐ為、食物と自分の衣服を与えたらしい。 翌日、異人は死んでいたらしい。聖徳太子は深く悲しみ、異人をその場所に埋葬したらしい。 数日後、使者が墓の様子を見に行ったところ、埋葬したはずの異人の遺体は消えており、棺の上にたたまれた衣服が置かれていたらしい。 それを知った里人は、あの異人は達磨大師の生まれ変わりに違いないと言い、聖徳太子が刻んだ達磨像を安置したのがこのお寺の始まりらしい。 鎌倉時代、達磨寺3号墳が達磨大師の墓であるという伝承が成り立ち、墓の上にお堂を建てて寺院として開基したらしい。 その後、旧仏教勢力の弾圧や松永秀久の兵火などで荒廃を繰り返したが、その都度復興をし現在に至るらしい。
2019年1月19日
聖徳太子と達磨大師が出会った場所、ならびに達磨大師のお墓がある達磨寺に到着! このお寺には3基の古墳があるのですが、その内の1つが達磨大師のお墓という! しかし達磨大師のお墓の上には本堂が建っている為、古墳の姿を見ることができないという・・・むむむ。 そんな事より、本堂内の仏像さんがステキ過ぎました!聖徳太子像&達磨大師像、そして392本の手を持つ千手観音像。 この千手観音さんの手の平には水晶で作られた目があるという!いわゆる千手千眼の観音さん。 葛井寺や唐招提寺ほどの手数はないですが、像自体が小さい為、葛井寺と同じくらいの手密度を感じるステキ仏でした。 いやはや~&いやはや。やっぱすごいな奈良。
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■境内入口■
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■山門■
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■山門■
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■山門■
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■参道■
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■手水舎■ |
■手水舎■
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■鐘楼■ |
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■本堂■
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■本堂■
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■本堂■
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■本堂■
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■問答石・達磨石■
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■問答石・太子石■
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■問答石■
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■九重石塔■
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■雪丸塚■
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■雪丸塚■
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■松永久秀の墓■
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■片岡八郎と春利の墓■
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■一夜竹■
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■一夜竹■
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■一夜竹■
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■旧本堂瓦製露盤■
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■達磨寺中興記石幢■
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■薬師石■
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■境内の風景■
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■方丈■
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■境内の風景■
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■雪丸■
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■絵馬■
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■千手観音坐像■
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■聖徳太子坐像■
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■達磨大師坐像■
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