和歌山県岩出市根来
真言宗十八本山 第17番/近畿三十六不動尊 第34番/神仏霊場巡拝の道 第9番 など
1130年、高野山の僧で空海以来の学僧と言われた覚鑁(かくばん)が、高野山内に一堂を建て、伝法院と称したのが始まりらしい。 鳥羽上皇は覚鑁に帰依し、荘園を寄進するなど手厚く保護したらしい。1134年、覚鑁は金剛峯寺座主に就任し、高野山全体を統轄する強大な勢力をもったらしい。 覚鑁は、当時堕落していた高野山の信仰を立て直し、宗祖・空海の教義を復興しようと努めたが、 高野山内の衆徒はこれに反発し、覚鑁一門の寺院が焼き討ちされるという事件が起こったらしい。 覚鑁一門は高野山を下りて、豊福寺に拠点を移し、さらに新たに円明寺を建て伝法会道場としたらしい。 その後、豊福寺、円明寺を中心として院家が建てられ、一山総称として根来寺が形成されるようになったらしい。 室町時代末期の最盛期には、坊舎450(一説には2700とも)を数え一大宗教都市を形成し、寺領72万石を数え、 根来衆とよばれる僧兵1万余の一大軍事集団を持つ大寺院になったらしい。 また、根来寺僧によって種子島から伝来したばかりの火縄銃が持ち帰られ、僧兵による鉄砲隊が作られたらしい。 こうした強大な寺社勢力を危惧した豊臣秀吉は、1585年に紀州根来に攻め入り、大塔・大師堂などの2~3の堂塔を残して全山を焼き払ったらしい。 その後、紀州徳川家の外護を受けて、大門・伝法堂・常光明真言殿・不動堂など主要な伽藍が再建されたらしい。 時を同じくして、東山天皇より覚鑁上人に『興教大師』の大師号が下賜されたらしい。 現在、新義真言宗の総本山として、興教大師の御廟を守り続けているらしい。
2013年7月15日
根来と聞いて頭に浮かぶのは、根来衆&雑賀衆&根来寺焼き討ち。そんなこんなで、ドキドキしちゃうキーワードがオンパレードの根来寺に到着! もうねぇ、日本史的にもドキドキしちゃうけど、建築的にもドキドキしちゃうのよ、このお寺! とてつもなく巨大なのよ多宝塔が!豊臣秀吉の焼き討ちから逃れたこの多宝塔は1496年建立の国宝。 そして日本最大の多宝塔!多宝塔内の円形の内陣には、大日如来さんを始めとする諸仏が安置されていて、めちゃステキ空間が形成されてました! 大伝法堂と呼ばれるお堂には国重文のデッカい三尊像が安置されてました!力強いぶっとい光を放つ光背が特徴的な仏像さんでした! そんなこんなで、しばし見惚れる。ステキです。それにしても、高野山壇上伽藍の根本大塔&西塔しかり、根来寺の大塔しかり。 この地域の多宝塔は巨大!圧倒されちゃいます!そんなこんなで、大伝法堂、大塔、光明殿などのお堂を拝観した後、 ちょっと離れた場所に建つ大門に向かおうと思っていたら、突然の大雨がゲリラ的に襲ってきました!笑っちゃうくらい手荒い洗礼でした! って事で、あっけなく大門に行く事を諦めました! ちなみにご朱印は3種類頂けますが、また訪れたいと思ったので今回は1種類のみゲットして、そそくさとお寺を後にしました!