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大谷租廟

■場所

京都府京都市東山区円山町

■由緒

1272年、親鸞聖人が亡くなって10年後に親鸞の末娘・覚信が廟堂を建立して、親鸞聖人の御影像を安置したのが始まりらしい。 その後、三世・覚如により、廟堂は寺院化されたらしい。当初は専修寺と号していたが、後に本願寺と改称したらしい。 1603年、廟堂は五条坂に移転したらしい。1745年、8代将軍・徳川吉宗より10000坪の寄進を受け、祖廟が完成したらしい。 その後、大谷別院・大谷本廟と改めたらしい。1981年、大谷祖廟と改め、親鸞、本願寺の歴代、全国の門徒の遺骨が納められているらしい。

■参拝日

2014年2月8日

■日記

明日、嫁はん姉妹のお気に入りバンドのライブが京都であるとのこと。なもんだから、嫁はん姉妹はとても楽しみにしておる。 しかしね、楽しみ度でいえば私の方がはるかに上なのさ。なぜなら京都で寺社巡りができるから!という事で、私も便乗して京都に行くことに! しかっし、大寒波到来!出発前の広島はすでに大雪!しかも積もり始めてる!天気予報によると、明日の近畿地方は最大積雪30センチとのこと! なんでこんな日に…!嫁はんのお母さんに『あんたらに、行かんという選択肢はないん?』と言われるも、ほぼ即答で『ないんです』と。 男っちゅうのは冒険家なんです!この日の為に、チェーンも買ったし!なんなら、チェーンの威力を試してみたいし!そんなこんなで、いざ京都に出発! 高速道路はチェーン規制やら通行止めやら、いろいろと面倒っちいので、ルート2と高速道路を上手く使い分けて京都に向かう。 何度か怖い思いをしつつも、7時間かけて無事、入京できました!そんなこんなで、まず最初に訪れたのは、京の冬の旅で特別公開中の知恩院・三門! 今回で2度目となる三門拝観ですが、1度目の時も2度目の時も全く同じ感動を味わえました! んでもって知恩院で参拝後、嫁はん姉妹と別行動をとり、高台寺へ向かう。すると親鸞さんが眠る大谷祖廟を発見。 そんなこんなで、大谷祖廟に到着!この大谷祖廟、東本願寺の飛び地境内とのこと。境内では子供達が鬼ごっこをしてました。 そんなこんなで、走り回る子供達に囲まれながらの参拝。廟所前にて、目を閉じて手を合わしていると、突如、鬼から逃げる子供が私の足元に登場! どうやら、私は盾変わりにされてる模様!しばらく私を盾にしたのち、子供は鬼の隙を見計らってダッシュで逃げて行きました! 無事、盾の役目を終えた私は、廟所前で独りぼっちになる。子供達の声は遠くで聞こえる。どうやら子供達は、戦場を変えた模様。 さっきまで騒がしかった廟所前は、一瞬にして古戦場。 ちょっとだけ虚しい気持ちになっちゃいましたが、鬼の盾になり、少しでも人の役に立てた事を誇りに思う。 そんな充実感に浸りつつ、高台寺へ向かうのでありました。

■公式ホームページ

大谷祖廟 | 東本願寺 >>

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■境内入口■


到着!

■参道■


■表唐門■


■表唐門■


蟇股

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■表唐門■


表唐門をくぐると

■太鼓堂■


かつては2階部分の太鼓で
時間を知らせていたらしい
現在は時計が普及した為
使用してないらしい

■手水舎■


■手水舎■


長い胴体に感動

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■鐘楼■


■本堂■


1701年建立

■本堂■


雪化粧

■本堂■


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■御廟■


階段を上ると

■御廟■


宗祖・親鸞ならびに
真宗大谷派御歴代の墓所

■御廟■


立派です

■御廟■


彫刻の色彩がステキでした

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■境内の風景■


モンキーが出るらしい

■境内の風景■


了解!

ひと足のばして
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■円山公園■


大谷租廟から徒歩すぐ

■円山公園■


国の名勝

■京都祇園堂■


その昔、この付近には
祗園女御のお屋敷があったらしい
祗園女御は
白川法皇の寵愛を受けた人で
法皇との間に生まれた子が
平清盛といわれているらしい

■京都祇園堂■


祗園女御供養塔

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■御陵衛士屯所跡■


1867年、孝明天皇の
御陵衛士となった伊東甲子太郎ら
15名が屯所とした場所

■御陵衛士屯所跡■


ステキな町並みです