京都府京都市上京区寺町通広小路上ル北之辺町
洛陽三十三所観音霊場 第32番/京都七福神 第3番
938~947年、元三大師が船岡山の南に創建したのが始まりらしい。 1243年、法然の弟子・覚瑜が船岡山の南麓に再興し、中国の廬山にならって廬山天台講寺と号したらしい。 室町時代、応仁の乱で焼失したらしい。1571年、織田信長の比叡山焼き討ちでは、正親町天皇の女房奉書により焼失を免れたらしい。 1573~1593年、豊臣秀吉の寺町建設によって現在地に移転したらしい。 平安時代、この場所は紫式部の曽祖父・藤原兼輔の邸宅があった場所で、紫式部もこの地で育ったらしい。 そんなこんなで、紫式部はこの地で源氏物語の大半を執筆したらしい。
2009年12月29日
相国寺から徒歩20分、京都御苑の隣りに位置してます、盧山寺に到着! 京都御苑の隣りと言っても、その京都御苑の敷地がメチャクチャ広いもんだから、あの家もその家もこの神社もあの寺も全部隣り! そんなこんなで、隣りがたくさんあります。 そんな事より、この盧山寺は紫式部の家があった場所らしいです! 紫式部ゆかりの地を訪れたのは初めてだったのでチョッピリ興奮しました! って事で、ご朱印も紫式部邸宅址を書いて頂きました! 聖徳太子しかり織田信長しかり豊臣秀吉しかり坂本龍馬しかり紫式部しかり...and more 京都には誰もが知っているカリスマ人物ゆかりのお寺があって、 改めて京都のスゴさに気付いた次第です! そんなこんなで、盧山寺参拝後、京都御所を1周してみました。 御所の中を拝見する事ができなかったので、壁の向こうの世界を想像しながら歩きました。 こんな感じで、天皇さんも一般ピープルの家の中を想像する事はあるのだろうか。 なんて事を思ってみたり。
ひと足のばして |