兵庫県加西市北条町北条
新西国三十三ヶ所 第29番/播磨西国三十三ヶ所 第16番
745年、酒見明神の神託を受けた行基が開創したお寺らしい。平安時代から毎年勅使の参詣が行われていたらしい。 1159年、平治の乱で全山を焼失したらしい。その後、二條院の勅により再建したらしい。1573~1592年、兵火により再び全山が焼失したらしい。 江戸時代、姫路城主・池田輝政が姫路城の守護寺に定めて援助を行ったらしい。池田家の転封後は本多忠政の援助を受けたらしい。 1624~1643年、幕府の命を受けた実相院降恵が再興し、さらに江戸幕府3代将軍・徳川家光が朱印寺と定めたらしい。 そんなこんなで、天皇や幕府、藩により厚く保護されてきたお寺らしい。
2013年3月16日
なんとなく寺名から連想することはお花見。まだお花見にはちょいと早い季節。お酒呑めないから、お花見には興味ないんだな。 私の家系は酒豪揃いで、いわば私は酒呑みのサラブレッドもしくはプリンスのはずなんだけど、何故か私だけ呑めないんだな。 でも昔は今よりまだ呑めてたんだけど、急性アル中で死にかけて以来、お酒ノーサンキューになったんだな。 だからお花見とかちっとも楽しくない行事の1つなんだな。酒見寺の楼門前にてそんな事を思いつつ。そんな事より、良い味出てる楼門でした。 参道脇にはお堂が建ち並んでるんだけど、どこかしら殺風景・・・きっと緑の少な過ぎがそう思わせるんだな。 だからこのお寺では、お花見は楽しめそうにないな。そんな事より、国重文の多宝塔がちょっと珍しくて、一層部が瓦葺で、二層部が檜皮葺きだという! あと鐘楼の極彩色も鮮やかでステキでした!それにしても、境内にはやたらと小学生の姿が目立ちます。 誰がどう見てもみんな近道のために境内を通り過ぎてる模様。おかしいなぁ、と思いつつ境内を散策していたら、お寺の裏に小学校がありました。 しかも学校とお寺は塀などで区切られておらず!もしかしたら近道とかじゃなく、ただ単にこのお寺が通学路なのかもしれない。そんな事を思いつつ。 ちなみに酒見寺と書いて『さがみでら』と読むらしいです。
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■楼門■
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■楼門■
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■楼門■
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■楼門■
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■楼門■
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■楼門■
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■参道■ |
■参道&楼門■ |
■手水舎■ |
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■鐘楼■
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■鐘楼■
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■鐘楼■
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■鐘楼■
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■根本堂■
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■根本堂■
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■根本堂■
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■境内の風景■
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■多宝塔■
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■多宝塔■
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■多宝塔■
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■多宝塔■
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■引聲堂(常行堂)■ |
■地蔵堂■ |
■御影堂■
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■御影堂■
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■庫裏■ |
■住吉神社■
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■境内の風景■
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