大阪府南河内郡太子町太子
新西国三十三ヶ所 第8番/聖徳太子霊跡 第33番
622年、聖徳太子が死去した後に出家した3人の侍女、善信(蘇我馬子の娘)・禅蔵(小野妹子の娘)・恵善(物部守屋の娘)により、 聖徳太子廟がある叡福寺の門前に、塔頭として法楽寺の寺号で創建したのが始まりらしい。 以上の縁起から、日本最古の尼寺らしい。しかし、日本書紀によれば、日本最古の尼寺は飛鳥の豊浦寺らしい。 1639年、荒廃していた寺を蓮誉寿正尼が中興し、名称を西方院に改めたらしい。
2012年4月30日
叡福寺から徒歩1分の場所に位置する西方院に到着! 叡福寺の塔頭で、ミニマムサイズのお寺でした。 時刻は夕方間近。旅の終わりはいつもセンチメンタル。もうそろそろ帰らねば。 そんなこんなで2012年ゴールデンウイーク、京都&奈良&大阪の県境の旅は静かに幕を閉じました。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
■境内入口■
|
■境内入口■
|
■山門■
|
■山門■
|
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
■鐘楼■
|
■本堂■
|
■観音堂■ |
■聖徳太子御侍女三尼公御廟所■
|
![]() |
![]() |
![]() |
|
|
|
■太子町の風景■
|