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叡福寺

■場所

大阪府南河内郡太子町太子

■札所

新西国三十三ヶ所 客番/聖徳太子霊跡 第6番/仏塔古寺十八尊 第2番 など

■由緒

620年、生前の聖徳太子が、この地を墓所と定めたらしい。 621年、穴穂部間人皇后が没するとここに葬られ、翌年、相次いで没した聖徳太子と妃の膳部菩岐々美郎女が追葬されたらしい。 聖徳太子の没後、伯母にあたる推古天皇が土地建物を寄進し、墓守りの住む堂を建てたのが叡福寺の始まりらしい。 叡福寺の創建年代については諸説あり、実際の創建は平安時代以降に下るとする見方もあるらしい。 平安時代、嵯峨天皇をはじめ多くの天皇が参拝しており、平清盛は息子の平重盛に命じて堂塔の修理をさせたらしい。 日本仏教の祖ともいうべき聖徳太子の墓所があることから、空海、親鸞、日蓮など新仏教の開祖となった僧たちもこの寺に参篭したらしい。 1574年、兵火により大きな被害を受け、古代の建物は残っていないらしい。江戸時代、豊臣秀頼が伽藍を再興したらしい。

■参拝日

2012年4月30日

■日記

2012年、ゴールデンウイークの旅、3日目!大阪と奈良の県境にある叡福寺にやってまいりました! この旅は、京都の県境、奈良の県境、大阪の県境を巡った旅となりました!なんちゃって三都物語です! そんな事より、この叡福寺には聖徳太子の墓所があるという!なんかスゲーじゃん!この叡福寺が所在する町名は、太子町!なんかスゲーじゃん! って事で、少々テンションが上がり気味の参拝となりました!そんなこんなで本堂で参拝後、聖徳太子御廟へ。なんか建物がスゲー。 こんなの見た事ないじゃん! その後、諸堂を参拝して、ご朱印を頂く為に寺務所へ。ご朱印を頂いた後、お寺の方とかなり長い立ち話をしました! 20分くらい。話の途中、何度も何度も口から出かかっていた・・・『本当に実在したのですか、聖徳太子・・・』。 何度も何度も、心の中で言っちゃいかん!と言い聞かせながらお話をしていました。でも聞きたいじゃん。でも聞いて変な空気になったら気まずいじゃん。 でも聞いちゃったよ!すると『墓所には遺骨じゃなく霊を祀っている』という夢を含ませた返答が返ってきました!うまいこと言うな~っ! その後、宝物館で、たくさんの仏像さんを拝観してきました!本日の午前、昨日、一昨日、とデッカい仏像さんをたくさん観てきたおかげで、 この宝物館の仏像さんがやたらと小さく観えました。標準サイズなのに。少々、目が肥えてしまったようだ。

■ご朱印■

ご朱印

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■南大門■


到着!

■南大門■


仁王さん 吽形

■南大門■


仁王さん 阿形

■南大門■


仁王さん、小さいよ
門とサイズが合ってない

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■南大門■


扁額は
元総理大臣・岸信介の筆

■南大門■


南大門をくぐると

■参道■


結構な大寺院です

■手水舎■


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■金堂■


1732年建立

■金堂■


真言宗系単立で
太子宗のお寺です

■金堂■


八角形の柱

■金堂■


軒下

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■多宝塔■


1652年建立

■多宝塔■


国重文

■多宝塔■


ステキです

■多宝塔■


蟇股

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聖徳太子御廟 二天門


1688年建立

聖徳太子御廟 二天門


増長天さん

聖徳太子御廟 二天門


持国天さん

■聖徳太子御廟■


何だか格別な空気感が
漂ってました

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■聖徳太子御廟■


丘陵を利用した円墳で
内部は横穴式石室に
なってるらしい

■聖徳太子御廟■


なんかスゲー建物

■聖徳太子御廟■


ステキです

■聖徳太子御廟■


二天門より境内を望む

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■浄土堂■


入口

■浄土堂■


■鐘楼■


1596~1615年建立

■久邇元帥宮御遺髪塔■


久邇宮邦彦王は
皇族で陸軍の軍人らしい
昭和天皇の皇后の父らしい

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■見真大師堂■


親鸞聖人自作の
親鸞聖人坐像が
祀られているらしい

■弘法大師堂■


■弘法大師像■


■聖霊殿■


1603年建立 国重文
聖徳太子を祀る

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■宝物館■


たくさんの仏像さんを
拝観できました

■太子町の風景■


太子愛

■太子町の風景■


和を以て貴しとなす
太子愛