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祥雲寺

■場所

大阪府堺市堺区大町東

■由緒

1625年、沢庵和尚が創建したお寺らしい。 創建当初は、瑞泉寺という寺名だったらしい。その後、祥雲庵と改名し、1639年に祥雲寺となったらしい。 徳川3代将軍・徳川家光の時から幕府巡見所の1つとなったらしい。 1945年、大阪大空襲により焼失したらしい。 その後、再建したらしい。

■参拝日

2018年5月12日

■日記

本日は嫁はんが大阪に用事があるとのことなので、率先してアッシー君になる。旅じゃ旅じゃ!急遽、ウホウホ気分! そんなこんなで、堺に到着!堺に住む嫁はんの友達に教えてもらった漢方屋さんに行った後、本日の宿があるフェニックス通りをブラブラ歩いてみる。 するといくつかのお寺が集まるエリアに到着。そしていい味出まくりの瓦土塀のお寺を発見!せっかくなんで立ち寄ってみよう。 そんなこんなで、祥雲寺に到着!なんとこのお寺は沢庵和尚が住職を務めたお寺とのこと! このように適当というか偶然出会ったお寺が、ビッグネームゆかりの地だった時のラッキー感は言葉では表せない。 なんかこぅ、運命みたいなものを感じちゃいます。 あんまりお寺っぽくないお寺でしたが、府指定名勝の枯山水庭園がステキなお寺でした! 沢庵といえば、やはりたくあん漬け。そして宮本武蔵もんのドラマなどにやたらと登場してくるイメージ。 調べてみると、沢庵と武蔵に接点があったかどうかは怪しいとのこと・・・うぅ~ん、この。

■公式ホームページ

臨済宗大徳寺派 龍谷山 祥雲寺 >>

■ご朱印■

ご朱印

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■境内入口■


到着!

■瓦土塀■


いい味出まくりの瓦土塀が
印象的なお寺でした

■瓦土塀■


瓦の廃材をミルフィーユ状に
重ねて造られた土塀
耐久性&排水性に優れた
昔の人の知恵がテンコ盛り
となった塀

■瓦土塀■


断面を観察中

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■参道■


なんとレンガの参道!
めちゃモダンです

■手水鉢■


■つくばい■


6角型のつくばい

■織部灯籠■


そしてまさかの織部灯籠!
キリシタン灯籠に
出会えるとは!

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■方丈(本堂)■


臨済宗のお寺です

■方丈(本堂)■


1952年建立
方丈前には
ステキな枯山水庭園

■庭園■


江戸時代初期築庭
平庭式の枯山水様式
京都・大徳寺の
方丈前庭と類似する点が
多いらしい

■庭園■


土塀寄りに石組を配し
手前に広い白砂の
空間をとる庭園は
江戸時代初期の枯山水に
共通する様式らしい
1945年の
大阪大空襲で焼失したが
焼け残った岩組をもとに
一耕宗純が再整備

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■歓喜天堂■


1948年建立
歓喜天(聖天)さんを安置

■歓喜天堂■


方丈が落慶するまで
仮本堂として
活躍していたらしい

■歓喜天堂■


刺激が強過ぎるからか
やはりお姿を
拝見する事はできず

■劉鉄観音■


何て読むのでしょ?
りゅうてつ?

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■境内の風景■


方丈横には
礎石っぽい石が
並んでました

■沢庵和尚■


安土桃山時代から
江戸時代前期にかけて
活躍した臨済宗の僧
1607年、37歳の若さで
大徳寺の住職となるが
わずか3日で大徳寺を去り
堺へ戻る
幕府に反抗し出羽(山形県)に
流罪となる
罪が許された後
徳川家光、後水尾上皇
柳生宗矩などから
帰依を受ける
たくあん漬けの考案者
史実上では接点
がないはずだが
なぜか宮本武蔵関係の
ドラマによく出てくる人