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霊山護国神社

■場所

京都府京都市東山区清閑寺霊山町

■由緒

1868年、明治天皇から『維新を目前にして倒れた志士たちの御霊を奉祀するために、京都・東山の霊山の佳域社を創建せよ』との詔が発せられたらしい。 それに感激した京都の公家や山口・高知・福井・鳥取・熊本などの諸藩が、京都・霊山の山頂にそれぞれの祠を建立したのが始まりらしい。 創建当初は、霊山官祭招魂社と称していたらしい。靖国神社より古い歴史を持つ招魂社らしい。 1936年、日中戦争をきっかけとして国難に殉じた京都府出身者の英霊を手厚く祀ろうという運動がおき、 霊山官祭招魂社造営委員会が組織され、境内を拡大して新たに社殿を造営したらしい。 1939年、京都霊山護国神社に改称したらしい。一時、GHQ占領下において、京都神社に改称していたが、独立後は元の社名に戻したらしい。 坂本龍馬、木戸孝允、中岡慎太郎、吉村寅太郎、平野国臣、久坂玄瑞、高杉晋作など幕末勤王の志士1356柱、 明治以降の日清戦争、日露戦争、太平洋戦争などの戦死者を合わせ約73000柱が祭神として祀られているらしい。 坂本龍馬の誕生日であり命日でもある11月15日に、龍馬の遺徳を偲び霊を慰める龍馬祭が行われるらしい。

■参拝日

2014年2月8日

■日記

坂本龍馬など、幕末の志士のお墓がある霊山護国神社に到着!ここを訪れたのは、実に18年ぶり! 以前訪れたのは、夢と希望と根拠のない自信に満ち溢れまくっていた20歳の時。 当時、私にとっての龍馬は、ただの歴史上の人物で、龍馬の墓前にて『本気出せば龍馬になれるじゃろ』…みたいな事を、友達と話していた事を覚えてます。 あれから18年…38歳の私。ただのオジさん。龍馬になれるわけないし、近づけるわけもない。 ってか、差は光のスピードで離れる一方。何かを成し遂げた事、特になく。志、何もなく。 お国のために役に立った事は、真面目に税金を納めてることくらい。タバコの税とか、すんごい額になると思うよ~。 18年前、小さく見えていた龍馬も、今じゃ龍馬様と仰ぐに至る。 そんなこんなで、18年ぶりに龍馬の墓前に立ち、深く頭を下げ、軽く謝罪。……ってか、まだ本気出してないだけ…。 にしても、すんごい良い風景!この景色を良いと思うのは、今も昔も一緒。感じる心だけは、今も昔も変わってないみたいじゃの~ぅ。

■公式ホームページ

京都霊山護国神社 >>

■ご朱印■

ご朱印

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■鳥居■


到着!

■狛犬①■


■狛犬②■


■維新の道■


300メートル程
坂を登ると

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■狛犬③■


■狛犬④■


■拝殿■


■本殿■


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■霊山墓地入口■


霊山墳墓に入るのは有料
昔も有料だったっけ?

■霊山墓地入口■


噂では、日本で唯一お墓参りが
有料の墓地らしい

■霊山墓地■


幕末維新の志士達が
1043名祀られてます

■霊山墓地■


そんなこんなで
お墓参り開始

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■坂本龍馬&中岡慎太郎の墓■


■坂本龍馬&中岡慎太郎の墓■


左 → 坂本龍馬の墓
右 → 中岡慎太郎の墓

■坂本龍馬の墓■


言わずと知れた幕末の英雄
近江屋事件で暗殺後
近江屋で葬儀が行われ
ここ霊山に埋葬されたらしい

■山田藤吉の墓■


左 → 山田藤吉の墓
中 → 坂本龍馬の墓
右 → 中岡慎太郎の墓
山田藤吉は
龍馬の用心棒&世話役
近江屋事件で斬られる

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■坂本龍馬&中岡慎太郎の墓■


墓前からの景色

■坂本龍馬&中岡慎太郎の墓■


左 → 坂本龍馬
右 → 中岡慎太郎

■坂本龍馬&中岡慎太郎の墓■


龍馬&慎太郎が
見ている景色を見てみる

■坂本龍馬&中岡慎太郎の墓■


京都市内を一望できます

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■霊山墓地■


おびただしい数の墓石

■霊山墓地■


国家レベルに足元が悪い中
お墓参りをする

■霊山墓地■


鳥居&墓石が
傾いてる箇所あり

■霊山墓地■


安らかにお眠りください

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■木戸孝允の墓■


墓地の中で
1番高い場所にあります

■木戸孝允の墓■


いかんせん
国家レベルに足元が悪い
水深、約2cm

■幾松の墓■


幾松は木戸孝允の妻らしい

■吉村寅太郎の墓■


幕末の土佐藩出身の志士

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■土佐藩招魂社■


■山口藩招魂社■


■霊山招魂社■


■水戸藩招魂社■


その他、鳥取藩
福岡藩、岐阜藩の招魂社が
ありました

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■休憩所■


京都市内を
望みながらイップク

■休憩所■


柱の落書きを観賞

■休憩所■


頑張れニッポン

■昭和の杜■


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■陸軍特別操縦見習士官の碑■


■ああ特攻の碑■


■騎兵隊、捜索連隊の碑■


■愛馬の碑■


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■社務所■


幕末グッズを多数販売

■社務所■


■社務所■


ガチャ

■絵馬■


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■霊山歴史館■


幕末に活躍した志士、大名、
天皇、公家などの遺品や
書状などを展示

■霊山歴史館■


本日時間延長

■維新の道■


維新の道からの景色

■翠紅館跡■


1863年、土佐藩・武市半平太
長州藩・井上聞多、久坂玄瑞など
また同年6月には長州藩・桂小五郎
久留米藩・真木和泉守などの
反幕府勢力の各藩代表者の
会議が行われた場所らしい
俗にいう翠紅館会議