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今宮神社

■場所

京都府京都市北区紫野今宮町

■由緒

現在地には、794年の平安遷都以前から疫神スサノオを祀る社(現・摂社疫神社)があったらしい。 平安遷都後、しばしば疫病や災厄が起こり、神泉苑、上御霊神社、下御霊神社、八坂神社などで疫病を鎮めるための御霊会が営まれたらしい。 994年、都で大規模な疫病がはびこったため、朝廷は神輿2基を造って船岡山に安置し、音楽奉納などを行なったらしい。これが今宮祭の起源らしい。 1001年、再び疫病が流行したらしい。そこで朝廷は、疫神を船岡山から現在地に移し今宮社と名付けたらしい。 創祀以来、朝廷・民衆・武家からの崇敬は厚く、1284年には正一位の神階が与えられたらしい。 1467~1478年、応仁の乱などに巻き込まれ、焼失&荒廃したらしい。 1593年、豊臣秀吉が今宮社の御旅所を再興し、神輿1基を寄進したらしい。 西陣の八百屋に生まれた『お玉』が徳川3代将軍・家光の側室となり、5代将軍・綱吉の生母・桂昌院として従一位となったらしい。 このことが『玉の輿』ということわざの由来となった説があるらしい。 そんなこんなで今宮神社は、別名・玉の輿神社と言われているらしい。 京都の寺社の復興に力を注いだ桂昌院は、今宮社に対する崇敬と西陣に対する愛郷の念が非常に強く、 1694年には荒廃していた社殿の造営などを行ったらしい。

■参拝日

2014年2月9日

■日記

大徳寺のほぼ隣に鎮座してます、今宮神社。 大徳寺で塔頭巡りをしている途中に立ち寄った神社です。 朱塗りのデッカい楼門と檜皮葺きの社殿。京都では当たり前のようにある風景だけど、我が町ヒロシマには、こんな風景はない。 大徳寺もそう。塔頭に囲まれたお寺なんてヒロシマにはない。そんなことを思った瞬間、めちゃくちゃハイテンションになってしまいました! 今、京都に居るヨロコビ。ヒロシマでの生活では決して感じれない、この身震い! 何度も京都に来てるけど、毎度毎度何度も何度も感動を与えてくれる、すんごい街、京都。 まだ京都に居るのに、帰宅する日の夕方頃には『また来たい』と思ってしまう。何なんじゃろね、この街は。 もし京都が女なら、それはもうどうしようもないくらいの魅惑ガールですよ。 ってか、もっの凄い優しく繊細な線のご朱印に感動!ステキ過ぎます。

■公式ホームページ

今宮神社 - 京都府神社庁 >>

■ご朱印■

ご朱印

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■楼門■


到着!

■楼門■


1926年建立

■楼門■


見上げる

■楼門■


すんごいワイドな蟇股

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■狛犬①■


■狛犬②■


■楼門■


楼門をくぐると

■参道■


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■手水舎■


■狛犬③■


■狛犬④■


■狛犬④■


邪鬼が支えてます
可愛い

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■本殿■


大己貴命、事代主命
奇稲田姫命を祀る

■本殿と疫神社■


本殿左の建物は疫神社

■本殿■


蟇股

■本殿■


神紋と菊紋

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■織姫社■


織物の神を祀る

■月読社■


■稲荷社・織田稲荷社■


織田信長を祀る

■境内社■


その他、たくさんの
境内社があります

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■神占舎■


今宮の奇石といわれる
阿呆賢さん 神占石

■神占舎■


願をかけてこの石を撫で
その手で体の悪いところをさすれば
病気が平癒するらしい
この石を、三度叩いて持ち上げると
重く感じられる
次に、この石に願を掛ける
そして再び持ち上げて
軽く感じられたら
その願いは叶うらしい

■絵馬殿■


■絵馬殿■


リアル馬像と目が合う

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■絵馬①■


■絵馬②■


■絵馬③■


たまにこんな作風の
絵馬に出合います
すごい絵が上手

■あぶり餅■


写真右のお店は
平安時代頃からある
日本最古の和菓子屋さん
応仁の乱や飢饉のとき
庶民に振舞った餅らしい
食べることで病気・厄除けの
御利益があるらしい

日記の画像

■楼門前からの風景■


はるか先に大鳥居を
望む事ができます