大阪府堺市西区鳳北町
日本書紀&古事記によると、日本武尊は父・景行天皇の命を受け、ヤマト王権に抵抗する九州南部の熊襲を平定したらしい。 その後、意気揚々と大和に戻るも、体を休める間もなく東国の平定を言い渡されたらしい。 戦いを名目に、父は自分を遠ざけているのではないか・・・そんな屈折した思いを抱きつつも日本武尊は進軍したらしい。 途中、国造に焼き殺されそうになったり、妃を失ったり、山の神に痛めつけられるなど、様々な災難に遭いまくりながらも東国を平定したらしい。 平定後、大和を目指して帰るも、大和を目前にして命が燃え尽きて死去したらしい。 遺体はその地に葬られたが、その陵墓から魂が白鳥となって飛んでいったらしい。 白鳥は大和の琴弾原で舞い降り、その後、河内国の古市に舞い降り、最後にこの地に舞い降りて留まったらしい。 そんなこんなで、この地に日本武尊を祀る社を建立したのがこの神社の始まりらしい。 奈良時代、聖武天皇の命で行基が神宮寺として神鳳寺を創建したが、明治時代の神仏分離令により廃寺となったらしい。 1159年、平清盛・平重盛らが熊野参詣に向かう途中、この神社に立ち寄り 『かひこぞよかへりはてなば飛びかけり はぐくみたてよ大鳥の神』という句を詠んだらしい。
2018年5月12日
和泉国の一宮であります、大鳥大社に到着!なんとこの地は白鳥になったヤマトタケルが最後に降り立った地とのこと! もしかしてだけど、ヤマトタケル所縁の地を訪れるのはお初のような!なもんでテンションは相当高め。 街中にありながら森々としたこの境内は、ヤマトタケルかこの地に降り立った後、一夜にしてできた森とのこと! そんなこんなで、森を歩く。いやはや神々しい。これは森林浴ならぬ、神隣浴。光合成ならぬ、光神成。 since紀元前と申しましょうかsinceいにしえと申しましょうか、神様を浴びながら日本神話を歩く。いやはやステキなひと時でした。 そんな事より、本殿裏の謎の祠は一体・・・明らかにあのエリアだけ圧倒的に空気が違いました! 正直、近寄るのを躊躇してしまいました!
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■鳥居①■
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■鳥居①■
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■狛犬①■
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■狛犬②■
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■参道■
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■手水舎■ |
■クスノキ■
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■クスノキ■
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■鳥居②■ |
■鳥居②■
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■拝殿■
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■拝殿■
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■拝殿■
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■拝殿■
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■拝殿■
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■本殿■
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■大鳥美波比神社■
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■大鳥美波比神社■
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■大鳥美波比神社■
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■織姫神社■
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■本殿裏の謎の祠■
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■本殿裏の謎の祠■
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■本殿裏の謎の祠■
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■本殿裏の謎の祠■
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■日本武尊像■
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■日本武尊像■
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■千種の森■
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■千種の森■
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■平清盛歌碑■
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■絵馬■
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