■場所
兵庫県姫路市山野井町
■由緒
1623年、徳川家康の孫&豊臣秀頼の正室である千姫が創建した神社らしい。
千姫は、天神・菅原道真を信仰しており、社殿に天神の木像を祀っていたらしい。
1615年、大坂夏の陣で豊臣秀頼が自害し、千姫は未亡人となるが、1616年に本多忠刻と再婚したらしい。
1617年、本多忠刻が姫路に移封された事により、千姫は姫路城で生活する事になったらしい。
そんなこんなで、千姫が生活していた姫路城・西の丸から拝礼出来るように社殿は東向きに造営されており、千姫は姫路城・長局(百間廊下)から拝礼していたらしい。
■参拝日
2015年8月1日
■日記
男山八幡宮で参拝後、徒歩すぐ、男山の中腹に鎮座してます、千姫天満宮に到着!
特に見所のない小さな境内でしたが、羽子板型の絵馬が印象的な神社でした。この神社、千姫が姫路城・百間廊下から拝めるように、東向きに建てられてるんだと!
こりゃ珍すぃ。ちなみにご朱印は、水尾神社で頂けるようですが、生憎の不在でゲットならず。
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■姫路城■
いざ入城
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■姫路城■
1993年、法隆寺と共に 日本で初の 世界文化遺産に登録
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■姫路城■
もちろん国宝
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■姫路城■
『菱の門』 1601~1609年建立 国重文
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■姫路城■
主な城主は 小寺氏、黒田氏 池田氏、本多氏 榊原氏、酒井氏
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■姫路城■
『大天守』 1609年建立 国宝 現存12天守の1つ
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■姫路城■
『三国堀』 敵が菱の門を突破しても 正面の「いの門」から 本隊が迎え撃ち 背後の「るの門」から 奇襲隊が挟み撃ちして 敵の逃げ道を断ち 三国堀に落とすという仕組み
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■姫路城■
姫路のゆるキャラ しろまるひめ
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■姫路城■
『百間廊下』 約300m続く廊下
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■姫路城■
『百間廊下』 百間廊下と大天守
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■姫路城■
『百間廊下』 ステキ過ぎです
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■姫路城■
『百間廊下』 百間廊下からの景色
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■姫路城■
『はの門』 1601~1609年建立 国重文
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■姫路城■
『乾&西小天守』 1609年建立 国宝
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■姫路城■
『にの門櫓』 十字紋の鬼瓦は キリシタンの名残りとか 魔除けとか諸説あり
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■姫路城■
狭間から城内を望む
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■姫路城■
城内の風景
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■姫路城■
石垣
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■姫路城■
塀の瓦
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■姫路城■
『天守の庭』 昭和の大修理の際 鉄筋コンクリの基礎に 変更した為 不要となった礎石を 元あった形に並べて再現
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■姫路城■
『お菊井』 お皿が1枚2枚3枚… …8枚9枚… お皿が足りない… ことで有名なお菊井
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■姫路城■
『お菊井』 彦根の長久寺に伝わるのが 番町皿屋敷 こちらは播州皿屋敷 ややこしや~
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■姫路城■
『大天守とお菊井』
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■姫路城■
保存修理中の為 大天守内の拝観は できませんでした
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■姫路城■
『羽柴時代の石垣』 姫路城の石垣は 羽柴時代、本多時代 池田時代の3期と その後に修復された石垣で 構成されてます
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■姫路城■
『羽柴時代の石垣』 羽柴時代の石垣は 黒田官兵衛ゆかりの石垣と 考えられてるらしい
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■姫路城■
『各時代の鯱』 左 → 江戸時代 中 → 明治時代 右 → 昭和時代
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■姫路城■
『鯱』 大天守の鯱瓦(復元) 高さ約190cm 重さ250kg
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■お堀■
ステキです
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■お堀■
和船に乗って内堀巡りが できるそうです
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■お堀■
絵になります
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■千姫の小径■
千姫は豊臣秀頼 本多忠刻の正室
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■姫路城■
『大天守』 大手前公園から望む
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■姫路城■
『大天守と西&乾櫓』 大手前公園から望む
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■姫路城■
『大天守』 ライトアップ
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■官兵衛の歴史館■
2014年1月12日から 2015年1月10日まで開催
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■官兵衛の歴史館■
大天守付近で 開催されてました
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■官兵衛の歴史館■
複製ながらも シビれました
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■官兵衛の歴史館■
官兵衛の甲冑 お椀の兜カッケー
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■官兵衛の歴史館■
官兵衛の太刀 菊一文字の太刀拵
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■官兵衛の歴史館■
竹中半兵衛の空穂 空穂とは矢を納める筒
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■官兵衛の歴史館■
羽柴時代の姫路城
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■官兵衛の歴史館■
池田時代から現在 の姫路城
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■大河ドラマ館■
ひめじ官兵衛
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■大河ドラマ館■
2014年1月12日から 2015年1月10日まで開催
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■大河ドラマ館■
メイキング映像 官兵衛の居室 官兵衛が幽閉された 有岡城の牢獄を再現
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■大河ドラマ館■
そんなこんなで 有岡城の牢獄にて私
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