寺社とご朱印の紹介サイト

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安養院(三宝大荒神)

■場所

広島県広島市東区曙

■由緒

荒神社は少なくとも江戸時代前期には存在していた神社らしい。 古くは矢賀新町という町名だったが、1741~1744年、この付近で火災があった為、火難防止のためこの荒神社にちなんで荒神町と改称したらしい。 そんなこんなで、現・荒神町の由来となった社らしい。 安養院はもともと段原村(現・広島市南区段原)にあったお寺らしい。 1657年、火災により記録など焼失した為、創建年は不詳らしい。

■参拝日

2017年8月17日

■日記

以前、何度か通り過ぎた事があって、いつか行ってみたいのぅってな感じで先延ばしにしたまま年月が過ぎ。 やがて脳の引き出しの片隅に追いやられ、そして忘れてく。こんな事って多々ありません?って、誰に問いかけとんじゃい。 そんな事より、ちょっと前にこの安養院付近にあるまるめん本店という美味美味なお好み焼きを食べた時に突然脳の引き出しがバーッンと開き、このお寺の存在を思い出した次第です。 って事で、やっと来れました、安養院!またの名は、三宝大荒神。境内入口に鳥居があるので、神仏集合の形態をとっているお寺さんです。 見た感じ、とっても小さなお寺さんなので、ご朱印は厳しいかもなぁってな感じで、 期待薄でインターホンを押すと元気いっぱいのご住職の奥さんが対応してくれました! しかし、ご住職さんが留守との事で、ご朱印ゲットならず。お詫びとしてお菓子をたくさん頂きました。 また日を改めてお邪魔しますってな感じでお寺を後にし、数日後、再度お邪魔する。私の顔を見た瞬間、申し訳ない顔をする奥さん。 さすがに2度も同じパターンのやり取りをしてしまうと笑いが止まらなくなる。もはやちょっとした知り合いみたいな会話になっちゃってる。 そして奥さんは言う『申し訳ないので、今度来るまでにご朱印の練習をしときます』と!めちゃめちゃ泣けるセリフ! ほんとに泣けるし、ほんとに申し訳ない気持ちでいっぱい。そしてまたもやたくさんのお菓子を頂いて帰る。 もはやお菓子をたかりに来てるヤバいオジさん状態。そして数日後、3度目のチャレンジ。 ご住職さんはいるが、法要の為、今はご朱印は書けないとの事……って事は~~……奥さんの出番! 『練習しました!』と明るく対応してくれる奥さんに涙が出ちゃう。そして奥さんのデビュー作のご朱印を頂き、再びたくさんのお菓子を頂きました! もうねぇ、短期間の間にいろいろとあったので、近年稀にみる暖かい参拝となりました! ご住職の奥さん、その節はたくさんお菓子を頂き、いや、わたしめの為にご朱印を練習して頂きほんとにありがとうございました! ちなみにこのお寺はマツダスタジアムの守り神らしいです。

■ご朱印■

ご朱印

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■境内入口■


到着!

■境内入口■


どうやら
神仏習合のお寺らしい
荒神町の由来となった
お寺らしい

■鳥居■


1737年建立

■参道■


参道の真ん中には
護摩壇があるという

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■手水鉢■


青く塗られた手水鉢

■手水鉢■


もしかして
水が入ってるように
見せる技なのかも

■狛犬①■


1917年作

■狛犬②■


1917年作

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■本堂■


真言宗のお寺です

■本堂■


如意輪観世音菩薩と
三宝荒神を
お祀りしております
いわゆる神仏習合

■本堂■


堂内

■本堂■


仏教式と神道式の
お参りをしてきました

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■本堂■


本堂前には
大きなシャモジ

■本堂■


シャモジには般若心経

■本堂■


1830年頃の絵地図

■本堂■


荒神社(現在地)と
マツダスタジアムの
位置が記されてました
どうやらこのお寺は
マツダスタジアムの
鎮守様らしい

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■大黒社■


大黒天を祀る

■稲荷社■


吒枳尼天を祀る

■龍神社■


龍神さんを祀る

■龍神社■


龍神さんを拝観

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■石仏さん■


とても古そうです

■石仏さん■


1907年作

■宝篋印塔■


1765年建立(多分)

■石灯籠■


1904年建立

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■境内の風景■


本堂前より望む

■境内の風景■


境内は
とっても小さいです

■鐘楼■


境内を出て
道を挟んだ所にあります

ひと足のばして
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JR 広島駅・南口


中四国一の
乗車人数を誇る広島の顔

JR 広島駅・南口


2017年に完成した
南北自由通路
新幹線口への移動が
楽になりました

JR 広島駅・新幹線口


近年、目まぐるしく
広島駅の様相が
変化していってます

JR 広島駅・新幹線口


2016年に完成した
ペデストリアンデッキ

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JR 広島駅・構内


商業施設ekieは
2017年10月29日に
開業するらしい

JR 広島駅・構内


新幹線改札口

JR 広島駅・構内


2017年10月に
完成した総合案内所

JR 広島駅・構内


総合案内所は
高級感ある仕上がりに
なってました

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JR 広島駅・構内


2014年に完成した
連絡跨線橋

JR 広島駅・地下道


地下道の柱は
カープだらけ
広い地下道ですが
お店は1軒もありません

JR 広島駅・南口地下広場


たまにイベントが
催されております
エールエールと
ビッグフロントとも
繋がっております

JR 広島駅・地下自由通路


南北自由通路ができるまでは
このレトロ地下道で
新幹線口に行ってました
とにかく下水臭い通路です
なぜかそこがスキ

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JR 広島駅・1番ホーム


目まぐるしく変わってく
広島駅ですがホームの方は
昔の面影が残っていて
いい意味で田舎駅

■駅前通り■


駅ビル・ASSEより
駅前通りを望む

■二葉通り■


ペデストリアンデッキより
若草町方面を望む

■二葉通り■


ペデストリアンデッキより
二葉の里方面を望む

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■猿猴橋■


1926年竣工
広島市内最古の橋梁

■猿猴橋■


被爆橋梁
爆心地から約1.82km

■猿猴橋■


竣工当時
金物で飾られたその姿は
広島一、西日本一と
いわれるほど美しかったらしい
しかし1943年、太平洋戦争中の
金属類回収令により
金飾りは取り外されたらしい

■猿猴橋■


そして2016年
金物の装飾などが
当時の姿に復元されました

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■猿猴橋■


親柱には地球儀の上で
羽ばたく鷲

■猿猴橋■


欄干には桃を取り合う
2匹の猿

■猿猴橋■


この猿猴川には
猿猴がいるらしい
ちなみに猿猴とは
カッパの1種で
エテ公ではありません

■猿猴橋■


猿猴 = カッパだけど
欄干には猿
めちゃくちゃ
ややこしいです
ちなみに奥に見える橋は
同じく被爆橋梁の荒神橋

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■猿猴橋■


旧親柱
1926~2015年まで
使用されていた親柱

■猿猴橋■


私みたいな
古い人間にとっては
やはりこの親柱の方が
しっくりきます

■猿猴橋■


復元前の猿猴橋
2015年撮影
~画像は説明板より~

■水管橋■


あったあったあった
これ懐かしい~~~!
いつの間にか
無くなってたんだね!
1898~2005年の間
100年以上に渡って
活躍した水管橋
2007年、老朽化により撤去
~画像は説明板より~

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■2014年の猿猴橋■


そう言えば昔
猿猴橋の写真を
ブログでUPしたような
そんなこんなで帰宅後
ブログ内を探したら
あったーーー!
復元前の猿猴橋の写真が!
~2014年撮影~

■2014年の猿猴橋■


何でもかんでも
写真を撮っとくもんだなぁ
~2014年撮影~

■猿猴橋■


架け替え当時の猿猴橋
1926年撮影
~画像は説明板より~

■猿猴橋■


原爆投下後の猿猴橋
1945年撮影
~画像は説明板より~

日記の画像

■猿猴橋■


頼山陽の詩
1825年、頼山陽が
京都から広島に帰省する途中
猿猴橋にさしかかった時に
作った詩らしい