奈良県奈良市大安寺
大和十三仏霊場 第13番/聖徳太子霊跡 第11番/神仏霊場巡拝の道 第17番
飛鳥時代、聖徳太子が奈良県大和郡山市に建てた熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)が、このお寺の始まりらしい。 その後移転して、百済大寺、高市大寺、大官大寺と改称を繰り返し、平城京遷都とともに新都へ移転し、大安寺となったらしい。 747年の大安寺資材帳によると、大安寺には887名の僧が居住していたらしい。 その中には、東大寺大仏開眼の導師を務めた僧・菩提僊那や、鑑真を日本へ招請するため唐に派遣された普照と栄叡や、 空海や最澄と交流のあった勤操、最澄の師にあたる行表もいたらしい。 1017年の火災で、本尊・釈迦如来像と東塔を残してことごとく焼失したらしい。 以後、かつての規模を取り戻すことはなかったらしい。
2011年5月1日
2011年・黄金ウィーク伊勢&奈良の旅、3日目。 昨晩コンビニで買った仏像雑誌を読みながら、本日の目的地を決めました。 まず最初に訪れたのは大安寺! かつては東大寺&興福寺と並ぶ大寺院で、南都七大寺の1つでもあった大安寺。 しかし今はかつての繁栄が想像できないくらい小さなお寺になってました。 なもんで、きっとサックリ参拝になるんだろうなぁって思いつつ本堂へ。 昨晩コンビニで買った仏像雑誌に載っていた十一面観音さんの前にはスダレのような物がかかっていて、拝見不能! どうやら10月1日~11月30日の期間限定公開らしい・・・写真ばっかり見ていて字を読んでなかった! 不覚・・・というかいつもの事だ。いつもの事過ぎて、ショックもない。 そんなこんなで本堂で参拝を済ませ、宝物殿へ。 宝物殿の扉を開けて仏像さんを見た瞬間、息を飲みました!スゲっ! 中でも四天王像がスゲっ。何がスゴいかというと、この四天王像はセットで作られたものではなく、個々が別のお堂で活躍していたらしいです。 要するに四天王が4チームあったらしいです。しかし度重なる火災などで堂宇&仏像は焼失。 しかし奇跡的に残ったのがこの四天王像!各チーム1体づつが奇跡的に生き残り、集まった4体がこの四天王! 奇跡スゲっ!多聞天が2体とか増長天が3体とかじゃなくて、各チーム1体づつが生き残った事、スゲっ! そんなこんなで、サックリ参拝になるかと思われた大安寺参拝ですが、宝物殿内にて相当長居しちゃってました! 今日も朝から仏像さんと素敵な時を過ごせて、ありがたき幸せ!
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■南門■
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■南門■
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■南門■
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■手水舎■ |
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■本堂■
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■護摩堂■
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■南大門跡■
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■中門跡■ |
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■嘶堂前の灯篭■
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■嘶堂前の灯篭■
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■境内の風景■
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■境内の風景■
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■絵馬■
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■がん封じの水■
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■推古天皇社■
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■弘法大師の腰掛岩■
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■不空羂索観音立像■
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■聖観音立像■
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■広目天像■
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