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大徳寺

■場所

京都府京都市北区紫野大徳寺町

■由緒

1315年、禅僧・宗峰妙超が開創したお寺らしい。1325年、花園上皇が大徳寺を祈願所とする院宣を発したらしい。 1334年、大徳寺を保護していた後醍醐天皇が、京都五山のさらに上位に位置づける命を発したらしい。 しかし、足利政権が成立すると、後醍醐天皇と関係の深かった大徳寺は足利将軍家から軽んじられ、五山から除かれてしまったらしい。 1386年、十刹の最下位に近い第9位となったらしい。このため、足利政権の庇護と統制下にあって世俗化しつつあった五山十刹から離脱し、 座禅修行に専心するという独自の道をとったらしい。その後、貴族・大名・商人・文化人など幅広い層の保護や支持を受けて栄えたらしい。 室町時代以降は一休宗純をはじめとする名僧を輩出したらしい。 侘び茶を創始した村田珠光など東山文化を担う者たちが一休宗純に参禅して以来、大徳寺は茶の湯の世界と縁が深くなり、 武野紹鴎・千利休・小堀遠州をはじめ多くの茶人が大徳寺と関係をもったらしい。 1453年の火災と、1467~1477年の応仁の乱で伽藍を焼失したが、一休宗純が堺の豪商らの協力を得て復興したらしい。 近世以降も豊臣秀吉や諸大名の帰依を受けたらしい。 江戸時代初期、幕府の統制を受け、元住持の高僧・沢庵が流罪の圧迫を受けたが、3代将軍・徳川家光が沢庵に帰依したこともあって幕府との関係も回復したらしい。

■参拝日

2014年2月9日

■日記

午前8時前、22の塔頭を有する大寺、大徳寺に到着!到着と同時に猛烈な腹痛に襲われる!すかさず境外に出て、ギリギリの根性でトイレに駆け込む。 しかしトイレの前に柵みたいなのがあって、そこにトイレの使用時間が書いてあった。トイレの使用時間は8時半から!何を言っておる、無理無理無理! そんなこんなで、使用時間を無視してトイレに駆け込み、便座に座ったと同時に極楽浄土!ギリギリセーフ! 一瞬の出来事である…って何を書いているのだ、私!そんなこんなで、再び境内に戻り三門→仏殿→法堂を巡る。 仏殿以外は参道からしか眺める事ができませんでしたが、仏殿だけはお堂の前に立つ事ができました。 朝早かったせいか、境内ですれ違う人は数人だけで異常に静まり返った境内。不気味な無音の中で仏殿内の古そうな仏像さんと見つめ合う。いわゆる極幸! 朝一のお寺が大好きだ。午前9時が近付くにつれ、参拝者が続々と集まりだしました。そろそろ私も動きだすとするか! そんなこんなで、本日は大徳寺の塔頭を6ヶ所巡ってまいりました! しかし短時間の間に6連続でお庭拝観をするのは、メンタル的にしんどいと思ったので、 大仙院→高桐院→今宮神社→聚光院→境外に出て喫煙→興臨院→端峯院→建勲神社→龍源院といった感じで、 ワケのわからないルートで境内を出たり入ったりしつつ、鮮度重視の変則的参拝でお庭地獄を回避! おかげで6庭6はんなり6感動、略して6NHKで大徳寺を後にしました!6NHKって。。。なんじゃ、そりゃ。

■公式ホームページ

大徳寺 : 臨済・黄檗 禅の公式サイト - 臨黄ネット >>

■ご朱印■

ご朱印

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■総門■


到着!

■総門■


京都でも
有数の規模を有する
禅宗寺院

■総門■


総門をくぐると

■境内マップ■


別院2ヶ寺、塔頭22院を
有する大寺院です

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■勅使門■


1640年移築

■勅使門■


国重文

■勅使門■


蟇股

■勅使門■


後水尾天皇より
拝領した門らしい

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■三門(金毛閣)■


1529年に下層のみを建立
1589年に千利休が上層を
完成させて『金毛閣』と
名づけたらしい

■三門(金毛閣)■


国重文

■三門(金毛閣)■


大徳寺は利休の恩に
報いるために
上層に雪駄を履いた利休の
木像を安置したらしい

■三門(金毛閣)■


このため門を通る者は
利休の足下をくぐることになり
これが豊臣秀吉の怒りを買って
利休切腹の一因となったらしい

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■三門(金毛閣)■


組物

■三門(金毛閣)■


門をくぐる事はできず
参道から望むかたちとなります

■三門(金毛閣)■


仏殿前から撮影

■三門(金毛閣)■


禅寺三門の中で
東福寺の三門に次いで古い門

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■仏殿■


1665年建立

■仏殿■


国重文

■仏殿■


堂内

■仏殿■


堂内には
ステキ仏がおられます

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■法堂■


1636年建立

■法堂■


国重文

■法堂■


柵がしてあり
正面に回ることができず

■法堂■


そんなこんなで
参道からの拝観になります

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■宗務本所■


宗務本所の隣りに
方丈&国宝・唐門があります
普段は非公開

■鐘楼■


1583年建立

■鐘楼■


国重文

■南門■


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■平康頼の塔■


平安時代後期
鹿ケ谷の変に関わり
島流しとなった人

■平康頼の塔■


正面は仏さんで

■平康頼の塔■


裏面は塔になってます

■平康頼の塔■


なぜか塔の周りは
有刺鉄線でグルグルに
されてます

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■千体地蔵塚■


■千体地蔵塚■


もしかしてだけど、多分きっと
千体もいないと思われます

■千体地蔵塚■


とても古そうです

■イブキ■


樹齢350年
仏殿前に立ってます

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■境内の風景■


塔頭が建ち並んでます

■境内の風景■


大徳寺は
茶の湯の世界とも縁が深く
武野紹鴎・千利休・小堀遠州
をはじめ多くの茶人が
大徳寺と関係をもったらしい

■境内の風景■


山内には
47の茶室があるらしい

■境内の風景■


広い境内です

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■大仙院■


塔頭です
大徳寺塔頭中、北派本庵として
最も尊重重視される名刹

■聚光院■


塔頭です
利休の墓をはじめ
表千家・裏千家・武者小路千家
歴代の墓所

■高桐院■


塔頭です
細川家の菩提寺

■興臨院■


塔頭です
前田家の菩提寺

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■瑞峯院■


塔頭です
大友宗麟の菩提寺

■三玄院■


塔頭です
石田三成の墓所

■龍源院■


塔頭です
能登の畠山義元
豊後の大友義長
周防の大内義興が創建

■黄梅院■


塔頭です
織田家、毛利家などの墓所
その他、大徳寺境内には
塔頭がたくさんあります