京都府京都市東山区大和大路通七条上ル茶屋町
1586年、豊臣秀吉が、奈良・東大寺にならって、大仏殿の造営を発願したらしい。 聚楽第造営、九州征伐、小田原征伐、朝鮮出兵などで工事は遅れたが、1595年に大仏殿が完成したらしい。 造立された大仏は、東大寺の大仏より大きい19mの巨仏だったらしい。 造営期間短縮の為、大仏は当初計画されていた銅造ではなく木造で造られたらしい。 釘などは、刀狩で没収した武器を再利用したものらしい。しかし1596年、地震により大仏は倒壊したらしい。 その時、秀吉は『自らの身をも守れないのか』と大仏に対し激怒したらしい。 その後、豊臣秀頼により再建されたらしい。1614年、梵鐘が完成したらしい。 梵鐘に刻まれた『国家安康』『君臣豊楽』の銘文が、徳川家康の『家』と『康』を分断し、豊臣を君主とし、 家康および徳川家を冒涜するものとみなされたらしい。それが原因で、大坂の陣が始まり豊臣家は滅亡したらしい。豊臣家滅亡後も、 大仏は残されたが、1798年に落雷による火災で焼失したらしい。
2009年6月27日
豊国神社から徒歩30秒の場所に位置してます、方広寺に到着! 『国家安康 君臣豊楽』の梵鐘で有名なお寺との事! なもんで、今回の旅では、是非とも参拝したいお寺でありました! 想像以上に小さな境内に、想像以上にデカイ梵鐘にド肝を抜かれました! そのアンバランス加減に感動すら覚えたひとときでした! 残念ながら、肉眼にて『国家安康 君臣豊楽』の文字は見えませんでしたが、 カメラにてバッチリと『国家安康 君臣豊楽』を写しだしたのでご満悦。 素朴でインパクトがあるお寺だったので、とても私好みのお寺でした!