■場所
京都府京田辺市薪字里ノ内
■由緒
1288~1293年、南浦紹明が開いた妙勝寺がこのお寺の始まりらしい。
1331~1334年、兵火に遭い次第に衰退したらしい。
1456年、一休宗純が草庵を結んで中興し、宗祖の『遺風を慕い師恩に酬いる』という意味で酬恩庵と名付けたらしい。
その後、一休宗純は1481年に88歳で亡くなるまでをここで過ごし、死後、遺骨は境内の廟に安置されたらしい。
一休宗純が晩年を過ごしたことにより一休寺という通称で親しまれているらしい。
■参拝日
2019年1月20日
■日記
一休禅師が晩年を過ごした一休寺に到着!一休さんのイメージといえば、やはりアニメの一休さん。
しかし実際の一休さんはかなりファンキーなお坊さんで、酒呑んで、肉喰って、男色オーライ、女性とチョメチョメ、お寺で同棲。
お友達の蓮如さんの阿弥陀像を枕にお昼寝とか自殺未遂とか、有りのままに生きためちゃ人間味のあるお方だったようです。
当時の仏教の戒律で禁止されてた事を全部やっちゃったタダモノじゃないお方。
しかしこの奇行は、足利幕府に庇護された五山仏教への痛烈な風刺&反骨精神によるもので、一休さんなりのメッセージだったようです。
これはもうパンクロッカー。この人が奏でるロックを聴いてみたい。
そんな不良変人僧侶の一休さんですが、後小松天皇の落とし子とも言われ、母も高貴な方らしく、実は天皇の血を引くサラブレッド中のサラブレッド。
出自もタダモノじゃないです。奇行が目立つ一休さんですが、大徳寺の住持を務めたりお寺を再建するなど、やる事はちゃんとやってます。
そこがカッコいい!そして死ぬ間際に放った言葉『死にとうない』・・・もうカッコ良過ぎる。
■公式ホームページ
酬恩庵一休寺 >>
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■境内入口■
到着! 臨済宗のお寺です
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■総門■
正式な寺号は酬恩庵 一休禅師が晩年を過ごしたので 一休寺と呼ばれてます
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■総門■
江戸時代前期建立 立派な四脚門でした
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■総門■
そんなこんなで 総門をくぐると
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■手水舎■
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■参道■
緩やかに上る石畳の参道 秋は紅葉が綺麗らしい
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■鐘楼■
1650年建立 国重文 入母屋造の袴腰 梵鐘は1623年鋳造
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■鐘楼■
三手先の立派な組物 しばし建物鑑賞・・・ いやはやステキです
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■本堂の門■
そんなこんなで 門をくぐると
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■本堂■
1429~1441年建立 国重文
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■本堂■
室町幕府6代将軍 足利義教が建立
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■本堂■
組物
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■本堂■
小ぶりな禅宗様の仏殿 床は平瓦を斜め45度に 敷いた四半敷
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■本堂■
左 → 普賢菩薩像 中 → 釈迦如来坐像 右 → 文殊菩薩像
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■開山堂■
1456年建立 大正時代改築
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■開山堂■
酬恩庵の前身・妙勝寺を創建した 大応国師(南浦紹明)像が 安置されてました
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■宗純王廟■
一休禅師のお墓です 1475年、一休禅師が 82歳の時に自ら建立
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■宗純王廟■
一休禅師は後小松天皇の 落とし子といわれ 天皇の血を引くことから 陵墓は宮内庁が管理しております
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■宗純王廟■
って事で、門には 皇室の紋章である16菊花紋 宮内庁が管理してる為 敷地内に入ることはNGです
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■宗純王廟■
そんなこんなで扉の外から 敷地内を望む 廟の前にはステキな 枯山水庭園がありました
室町時代築庭 村田珠光作
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■中門■
江戸時代前期建立 府重文
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■中門■
中門をくぐると
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■方丈と庫裏■
左 → 庫裏 右 → 方丈
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■庫裏■
1650年建立 国重文 加賀藩2代藩主 前田利常が寄進
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■方丈の唐門■
方丈、唐門ともに 1650年建立 国重文 加賀藩2代藩主 前田利常が寄進
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■方丈■
方丈内には 1481年作で国重文の 一休禅師像が安置されてました 逝去の年に高弟・墨済禅師に 命じて作らせたもので 頭部に一休禅師の頭髪と髭を 植えたとされてます
単眼鏡でのぞいてみるも 遠すぎて確認できませんでした
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■方丈■
一休禅師御使用の輿
一休禅師は1474年に 大徳寺・47世住持となりますが 住持になってからも この輿に乗って大徳寺に 通っていたらしい・・・ ここから大徳寺って 相当な距離があります! 大徳寺に住まないとこが 一休さんらしくてステキ
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■方丈■
方丈内部の襖絵は 江戸時代初期の絵師 狩野探幽の筆 ちなみにこれらの襖絵は複製画で 本物は宝物殿に収蔵されてます
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■酬恩庵庭園・南庭■
江戸時代築庭 国の名勝 酬恩庵庭園は 南庭、東庭、北庭の 3庭からなる庭園
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■酬恩庵庭園・南庭■
宗純王廟と虎丘庵を 背景にした枯山水庭園
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■酬恩庵庭園・南庭■
ステキな庭園でした
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■酬恩庵庭園・南庭■
そんなこんなで 一休み、一休みっと
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■酬恩庵庭園・北庭■
石組で枯れ滝を表現した庭園
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■酬恩庵庭園・北庭■
蓬莱山の滝から水が流れ落ち 海へ流れる様を石組みで表現
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■酬恩庵庭園・北庭■
お庭観賞は奥が深い
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■酬恩庵庭園・東庭■
石組みで十六羅漢を表現
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■虎丘庵■
1467~1477年移築 京都・東山にあったものを 応仁の乱の際に一休禅師が移築 非公開のため内部を 拝観する事はできませんでした
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■虎丘庵■
ちなみにこの虎丘庵は 一休禅師と森女さんが 一緒に暮らしていた建物 森女さんとは 一休禅師とチョメチョメ関係に あった盲目の女性
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■浴室■
1650年建立 国重文 浴室は東司、禅堂、食堂などの 三黙堂の1つで 静寂さを大切にする 厳粛な修行の場 私語はもちろん音を立てずに 身体を洗わなければならない
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■三本杉■
1説によると 一休、蓮如、蜷川新衛門の 3人が1本ずつ お手植えになったんだと! しかし1965年に寿命を迎え 現在の杉は2代目とのこと ってか、新衛門さんきたーー!
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■能楽観世流の墓■
左 → 19代・清興 中 → 15代・元章 右 → 音阿弥
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■茶人・寸松庵の墓■
寸松庵とは 1570~1642年に 活躍した武士&茶人 豊臣秀吉の小姓を経て 徳川家康、秀忠、家光の 3代の将軍に使えた人らしい 古田織部に茶道を学び 晩年は京都・大徳寺に 寸松庵を営んで隠棲
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■佐々木六角承禎の墓■
六角義賢は 戦国時代から安土桃山時代に 活躍した守護大名、近江国守護 六角氏15代当主で 観音寺城の城主
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■墓所■
その他、墓所には 古い五輪塔がズラ~~と 並んでました
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■一休像■
一休宗純とは室町時代に 活躍した臨済宗・大徳寺派の僧 第47世・大徳寺の住持 後小松天皇の落とし子といわれ 天皇の血を引くが権力が嫌いで 数々の奇行&破天荒な言動で 反体制を貫いた僧 アニメ・一休さんの モデルになった人
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■少年一休像■
世の中の汚れも このホウキで一掃して 明るい世の中にしたい との願いを込めて建立
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■境内の風景■
一休さんの忘れホウキ ・・・んなワケない
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■宝物殿■
一休禅師ゆかりの品々を 拝観してきました
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■二十世紀の森■
本堂裏にはポップな空間が 広がってます
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■二十世紀の森■
愛宕念仏寺もしくは 石峯寺に匹敵する ユニーク仏が点在
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■庫裏■
やはり一休さんといえばこれ! 庫裏には 虎の屏風がありました
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■庫裏■
そして、セルフ顔ハメも! めちゃくちゃ 撮りたかったけど ソロ活動な上1人も参拝者が いなかったため断念 くぅ~ そんなこんなで 1人でハメて慰める
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■絵馬奉納所■
一善一年 元旦生まれの一休禅師にちなんで 1月の最終日曜日に 絵馬の祈祷奉納が 行われるらしい
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■絵馬奉納所■
絵馬①
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■絵馬奉納所■
絵馬②
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■絵馬奉納所■
久々に一休さんを見て ノスタルジックな気分になる その他 新右エ門さん、さよちゃん などの絵がありました
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■酬恩庵庭園・南庭■
そんなこんなで、一休宗純こと一休禅師のステキな逸話
墓前でお経を読んでくれと頼まれ、でっかい屁を1発こいて『これでヨシ』と言ったらしい
一休は亡くなってからお経をあげるのではなく、生きている間にお経を聞くべきとおっしゃってます
親友である本願寺第8世・蓮如の留守の部屋に上がり込み、阿弥陀如来像を枕に昼寝をしていた一休
帰宅後、蓮如は怒るどころか『俺の商売道具に何をする』と言い、2人で笑い合ったという
一休は7曲がり半曲がった松の前に『この松をまっすぐに見た者には一貫文の褒美を与える』という立札を立てる
立札の前は賞金目当ての人々でごったがえす。縦から見ても横から見ても屋根に登っても逆立ちしても何をしても真っ直ぐに見えない松・・・
そこへ蓮如が通りがかり『真っ直ぐ見えた』と一休の所へ行く
蓮如→『真っ直ぐに見えたから一貫文ちょうだい』
一休→『あ~蓮如か、お前はあかん、立札の裏を見てこい』と答える
立札の裏には『ただし、蓮如は除く』と書いてあったという
人々は『どうやって曲がった松を真っ直ぐ見たのですか』と蓮如に聞くと
蓮如は『曲がった松を、曲がった松と見るのが真っ直ぐな見方なのだ』と答えたという
浄土真宗では、阿弥陀如来は無条件で救われるのに、禅宗の祖・達磨大師が、壁の前で9年間、手足が腐るまで座禅をしたのは無意味なことだと言い
晩年、禅宗の一休は浄土真宗に改宗したという
亡くなる直前に弟子達に『この先、どうしても困った時に開けないさい』と1通の手紙を手渡す
数年後、お寺に大問題があり、どうしようもなくなった弟子達は手紙を開けました
手紙の内容は『大丈夫、心配するな、何とかなる』とだけ・・・弟子達は笑ったという
その後、言葉通り、お寺の問題は何とか無事に解決したらしい
どんな事があっても何とかなるんですなぁ~!
酒呑んで、肉喰って、男色オーライ、女性とチョメチョメ、お寺で同棲などなど
仏教の戒律で禁止されてたことは、ほとんどやった人間味あふれる怪僧
アニメの一休さんのように幼少の頃から頭の回転が速く頓知を効かせたお方だったようです
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■お寺近辺の風景■
お寺を出ると お坊さんの飛び出し坊やを発見 飛び出さない、飛び出さない 一休み、一休み
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■お寺近辺の風景■
それにしても 嫁はんのお父さんにソックリ! ソックリというかそのもの! 破天荒な性格もソックリ!
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