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慈仙寺

■場所

広島県広島市中区江波二本松

■札所

安芸西国三十三観音霊場 第11番

■由緒

もともとは、現・安芸高田市吉田町にあったが、1608年、広島(現・中区中島町)に移転したらしい。 1945年、原爆投下により焼失したらしい。 戦後、お寺があった地区一帯が平和公園となった為、慈仙寺は岡本宮内のお墓だけを残し現在地に移転したらしい。

■参拝日

2017年10月12日

■日記

原爆でフッ飛んだ墓石があるというウワサの慈仙寺に到着!本堂で参拝後、早速フッ飛んだ墓石を探すも見当たらない。 もしかしたら瞬きをしてる間に見逃してるのかも知れない。なもんで瞬き無しで隅々を散策。・・・ない。 仕方ないのでインターネッツにアップされている写真を見直す。 しかしどうしたものか、初めて来たお寺なのに、写真に写る背景が初めての感じがしない・・・何回も行った事あるような風景。 ・・・これ、平和公園じゃね?文章を読んでみると思いっきり平和公園って書いてあるぅ!瞬きなしでもわかるくらいハッキリ書いてあるぅ! 昔からだけど、肝心な所だけを見落とすタイプ。教科書とか本は、絵や写真だけを見てわかった気になってしまうタイプ。 そんなこんなで後日、平和公園内にて原爆でフッ飛んだ墓石を拝見。 信じられないことに、爆風で墓石が浮き、その浮いた隙間に飛んできた石が挟まってるという。 石を浮かしてしまうほどの風って・・・原爆こわい。。ちなみにもともと慈仙寺は、平和公園のこの地にあったらしいです。

■ご朱印■

ご朱印

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■境内入口■


到着!

■参道■


参道脇には石仏さん

■本堂■


浄土宗のお寺です

■本堂■


女流詩人・武内俊子の
菩提寺らしい

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■六地蔵+1■


もともとは
旧境内地(現・平和公園)に
おられましたが
戦後、お寺の移転と共に
この地にお引越し
してきたらしい

■六地蔵+1■


被爆石造物

■六地蔵+1■


原爆でひび割れた
お地蔵さん

■六地蔵+1■


戦争こわい
原爆こわい

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■墓地■


被爆石造物
墓石でできた壁・・・
お地蔵さん同様、この墓石も
戦後、お寺の移転と共に
この地にお引越し
してきたらしい

■千人供養塔■


境内入口付近にあります

■武内俊子の碑■


武内俊子は
昭和初期~中期に活躍した
童謡詩人&童話作家
代表作は、かもめの水兵さん
船頭さんなど

■庫裏■


映画・この世界の片隅に
のポスターが貼られてました
このお寺がある江波地区は
映画で度々登場する町です

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■境内からの景色■


天満川を望む

■遠望■


橋の下から望む

■遠望■


橋の上から望む

■遠望■


皿山(標高52m)の
中腹に位置してます

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■被爆した墓石■


1689年建立
広島藩・浅野家の御年寄
岡本宮内のお墓らしい
爆風で飛んでいった相輪
五輪塔タイプの
お墓だったのでしょう
~平和公園にて~

■被爆した墓石■


平和公園内にて
被爆当時の姿を
そのままとどめているのは
この墓石だけらしい
~平和公園にて~

■被爆した墓石■


風の部分は
土に埋まってます
水の部分(球体部)は
ありませんでした
爆風で転がって
いったのでしょうか
~平和公園にて~

■被爆した墓石■


爆風で浮いた墓石の隙間に
飛んできた石が
挟まったらしい
石を浮かして
しまうほどの風って
・・・原爆こわい
~平和公園にて~

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■被爆した墓石■


平和公園を建設する際
盛り土をした為
周辺より地面が低くなってます
って事で
低い地面が被爆当時の
地面らしい
~平和公園にて~

■被爆した墓石■


戦後の写真に
この墓石が写ってます

■原爆ドーム■


ノーモア・ヒロシマです