和歌山県和歌山市和歌浦中
1649年、徳川家康の33回忌の際、養珠院(お万の方)が、妹背山に法華経を書写した経石を納めた石室を造り、その上に小堂を建てたのが始まりらしい。 経石の数は、養珠院に賛同した後水尾上皇や庶民など、身分を問わず全国から集めて20万個になったらしい。 養珠院(お万の方)の没後、1653年に紀州藩主・徳川頼宣は、小堂を2層の多宝塔に改築し拝殿と唐門を建立したらしい。 その後、養珠寺の末寺となり、紀州徳川家の庇護を受けていたが明治維新で江戸幕府が滅亡すると荒廃していき、 檀家のない海禅院は多宝塔を残すのみとなったらしい。明治時代、紀州・徳川侯爵家の意向で、海禅院は本山報恩寺の末寺となったらしい。
2012年12月29日
紀三井寺で参拝後、玉津島神社へ向けて歩いてたら、和歌川という比較的大きめの川に出くわしました。和歌川の橋からの景色は、それはもう絶景で。 なもんで、橋の途中で立ち止まり、しばらく景色を眺めてました。すると遠く対岸の方に、水辺に建つお堂を発見! これはと思い、水辺に建つお堂へ向けてまっしぐら。そんなこんなで、到着!どうやら海禅院というお寺らしい。 早速、境内に足を踏み入れ、水辺に建つお堂へ。水辺に建つそのお堂はコンクリート製で、お堂というより、展望台といった方がよさそう。 ってか、お堂でも展望台でも、どっちでもいいんだけど、とにかく絶景!どうやら今私が見ている景色は、和歌浦という景勝地のようだ! そんなこんなで、水辺に建つお堂に腰掛け、しばしボーとしてました。和歌浦、ステキです。 ってか、和歌山とか和歌川とか和歌浦とか、何か知らんけど適当な感じで、こういうの好き。その他、江戸時代建立の多宝塔がありました。 小ぶりながらもステキな塔でした!ちなみに、ご住職の奥さんらしき人が言うには、前の住職さんがハンコを返してくれないので、ご朱印はできないとのことです! 想定外の理由だったので、ちょいと笑ってしまいました!
ひと足のばして |