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妙国寺

■場所

大阪府堺市堺区材木町東

■由緒

1562年、畿内を支配していた三好之康(実休)が大蘇鉄を含む東西三丁南北五丁の土地を日珖上人から寄進されたらしい。 そして、堺の豪商だった日珖上人の父・油屋伊達常言、兄・常祐が協力して伽藍を建立寄進して妙國寺と称し、皇室より勅願所に定められたらしい。 その後、1583年頃までに広大な寺領に14坊や学問所などを備えた大伽藍が完成したらしい。 1582年、本能寺の変の際、堺を訪れていた徳川家康は妙國寺に宿泊していたが、変を聞き、妙國寺の僧・油屋親子の助けを得て難を逃れたらしい。 1615年、大坂夏の陣の際、豊臣軍の将・大野道犬は『徳川家康、妙國寺にあり』と聞き、妙国寺に乱入し諸堂に火を放ち全山が焼失したらしい。 その後、1628年に堂宇を再建し、その他支院などを再建したが、1945年の堺大空襲で再び大半を焼失したらしい。 1868年、フランス軍艦から水兵100人が堺に上陸し、婦女子を追回すなど傍若無人の振舞いに、堺警備隊の土佐藩士が応対したらしい。 しかし双方言葉が通じないため両者銃撃戦になり、フランス兵13名が死傷し国際問題となったらしい。 その結果、フランスに賠償金を払うと共に、土佐藩士20名は切腹を命じられたらしい。 そして、妙國寺にて日仏立会人の面前で堂々と切腹したらしい。しかし12人目が切腹しようとした時、 フランスの立会人が凄絶な様に見るに忍びがたくなり切腹は中止となり、残り9名は土佐へ流刑となったらしい。これが、堺事件らしい。

■参拝日

2012年8月12日

■日記

ワイフは友達とカフェタイムを満喫しておる。そんなこんなで、南宗寺からチンチン電車に乗って妙国寺前の電停にて下車。 そこから徒歩5分、妙国寺に到着!何とこの妙国寺には『織田信長も見た』といわれる蘇鉄があるという! そんなこんなで、拝観料を払い蘇鉄があるお庭へ。それにしても、ガイドさんの話しが長い長い! 話しが面白いから全然OKだけど、それはもうオシャベリおばけ!蘇鉄の前で立ち話し15分! そうこうしているとワイフから『今どこだい?』的なメールがやってきた!私は『オシャベリおばけ』の事を返信する。 それから10分後、妙国寺にワイフとワイフの友達夫婦がやってきた!蘇鉄の前でワイフの友達の旦那さんと初対面、蘇鉄の前でご挨拶! 結局、4人でガイドさんのオシャベリに付き合う事に!ガイドさんに対しての旦那さん&嫁さんのツッコミが絶妙で楽しい! これがいわゆる関西のノリなのか!何だか楽しくなってきたぞ!そうこうしているとガイドさんの話しも終息に向かい、資料館へ案内されました! その資料館には幕末に起こった堺事件で切腹した人の遺髪が展示されてました! しかもその遺髪は結構な毛量!目を背けてしまいたくなる程、ホラーな展示物でした! ガイドさんいわく、霊感が強い人はこの部屋に入ろうとしないらしいです!すごい霊パワーをもった部屋らしいです! そんなこんなで、資料館の拝観が終わり、ガイドさんから開放された私達は、お寺を後にする事に。 その後、ワイフの友達夫婦が仁徳天皇陵へ連れて行ってくれました!仁徳天皇陵の後、住吉大社まで連れてってもらいました! ワイフの友達夫婦さん、また遊びましょう~!

■ご朱印■

ご朱印

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■山門■


到着!

■山門■


仁王さん 吽形

■山門■


仁王さん 阿形

■山門■


山門をくぐると

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■手水鉢■


■手水鉢■


龍が超メタリックで
カッコいい

■手水鉢■


過去最高に強そう

■手水鉢■


いい仕事してます

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■本堂■


日蓮宗のお寺です

■宇賀徳正竜神■


■日蓮上人像■


■ミニーちゃん■


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■大蘇鉄■


国指定 天然記念物 樹齢1100年
~画像はポストカードより~

■大蘇鉄■


1579年、織田信長は
この蘇鉄を安土城に移植させたらしい
しかし毎夜、蘇鉄が
『堺妙國寺に帰ろう』と泣いたらしい
信長は激怒し家来に命じ
蘇鉄を切りつけたら
切口から鮮血流れ
怖れをなした信長は
即座に蘇鉄を妙國寺に
返したらしい
~画像はポストカードより~

ひと足のばして
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■仁徳天皇陵■


5世紀前半から半ばに築造

■仁徳天皇陵■


墳長 約486メートル
日本最大の古墳

■仁徳天皇陵■


~画像はネットで拾いました~