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高野山 奥の院

■場所

和歌山県伊都郡高野町高野山

■由緒

835年、空海は座禅を組み、手に大日如来の印を組んだまま永遠の悟りの世界に入ったらしい。 今も高野山奥の院で生きていると信じられ『死去』『入寂』『寂滅』などといわず『入定』というのはそのためらしい。 奥の院参道に沿って並ぶ石塔の数は10万基とも20万基とも言われ、皇族から名もない人々まで、あらゆる階層の人々が競ってここに墓碑を建立したらしい。 戦国武将の約6割のお墓があるらしい。一の橋から中の橋を経て御廟橋、御廟橋を渡ると空海入定の地とされる奥の院があり、 一番奥にある御廟では今も空海が瞑想をしているらしい。

■参拝日

2013年4月27日

■日記

金剛峯寺前からバスに乗り、高野山内で最高級の聖地と称される奥の院に到着! 約2キロの参道に20万基のお墓、そして戦国武将の約6割のお墓があるという、規格外な死後ワールドでした。 そして、弘法大師さんがまだ生きていると信じられている地!そんな規格外な浪漫に胸を踊らせ参道を歩く。 もし億が一、弘法大師さんとスレ違ったらどうしよ・・・出会ってしまったら、なんて挨拶しよ・・・とか考えてたら、ちょっと緊張してくる私。 それにしても、約2キロの参道は長かったです。全部は無理っぽいから、せめて有名な武将のお墓だけは全部参拝しようと意気込んでいたのですが、 信長さんや謙信さんや我が君主・毛利さんの墓地まで見逃してしまったという! そんなこんなで、撮影&飲食禁止&脱帽の聖地・燈籠堂&御廟にて参拝。四国88ヶ所の結願から約1年10ヶ月、やっと大師さんに結願の報告ができました! この奥の院は、一の橋ルートと中の橋ルートがあり、足に自信がない方やお急ぎの方は中の橋ルートがオススメです。 一の橋ルートは往復で相当な時間を有しちゃいます。いや~、それにしても結願の報告ができてスッキリじゃ。わしゃもう、今日は満足。

■公式ホームページ

高野山真言宗 総本山金剛峯寺 >>

■ご朱印■

ご朱印

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■高野町■


世界遺産 高野山

■高野町■


高野山は
117ものお寺がある
宗教都市!

■バス停■


金剛峯寺前のバス停から
奥の院行きのバスに乗る

■バス停■


ちなみに時刻表
奥の院行きは
15時22分が最終です
最終、早っ
~平成25年4月現在~

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■一の橋■


そんなこんなで、到着!

■境内マップ■


参道に並ぶ石塔の数は
10万基とも20万基とも

■参道■


杉が立ち並ぶ参道

■参道■


奥の院まで約2キロも
参道が続きます

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■薩摩島津家の墓所■


戦国武将の約6割のお墓が
あります

■武田信玄・勝頼の墓所■


■伊達政宗の墓所■


■石田三成の墓所■


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■江崎グリコの墓所■


大企業の墓所もあります

■江崎グリコの墓所■


墓石にはグリコマーク

■弘法大師腰かけ石■


■参道■


奥に行くほど
空気感が違ってきます
さすが日本トップクラスの霊地

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■中の橋■


中の橋を渡ると

■汗かき地蔵■


■姿見の井戸■


井戸をのぞき込み
自分の姿が映らなければ
3年以内に死ぬらしい

■姿見の井戸■


って事で、のぞき込むことに
映った!まだ生きれる!

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■安芸浅野家の墓所■


お~、我が安芸のボス

■安芸浅野家の墓所■


少し歩くと
再び安芸浅野家の墓所

■法然上人の廟所■


■結城秀康の石廟■


1607年建立 国重文

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■石仏■


おぉ~、スゲ~

■御茶処■


ちょっと休憩

■御茶処■


釜で沸かした
アッツアツのお茶を頂けます

■御茶処■


いただきます
そして、ごちそうさま

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■不動堂と大黒天堂■


■御廟橋■


これより奥の院
現在も弘法大師が
生きている場所です

■御廟橋■


これより先は
撮影禁止&飲食禁止
そして脱帽

■御廟橋■


つき当たりに
見えるのが燈籠堂で
燈籠堂の裏に御廟が
ありました

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■豊臣家の墓所■


■親鸞聖人の墓所■


■境内の風景■


ロケット型のお墓や
コーヒーカップの墓石など
ユニークな墓石が
立ち並ぶエリアがありました