大阪府堺市堺区少林寺町東
1330年、挑源宗悟が開山したお寺らしい。 寺名は、豪商・小林亮法の姓をとり小林寺(こばやし寺)としたが、後に達磨大師の少林寺にならって小の字を少に改めたらしい。 かつては七堂伽藍を有する泉州随一の禅刹だったが、寺地の多くを織田信長に没収され次第に衰退していったらしい。 しかしその後も、豊臣秀吉が石田三成と小西行長に命じて境内の竹の伐採を禁止するなど、小さなお寺ながらも名刹の扱いを受けていたらしい。 1615年、大坂夏の陣で焼失したらしい。 鎮守は白蔵主稲荷明神で、白蔵主と稲荷明神のエピソードは、狂言・釣狐として上演されてるらしい。 釣狐上演の際はこの寺に参詣し技芸の上達と上演の成功を祈願し、境内の逆芽竹を1本祈祷してもらい、 上演の時に杖として使用するらしい。 1733年、京都の吉田家より通心霊社の神号を与えられたらしい。
2019年1月18日
本日は大阪府堺市をプラプラしております。宿院頓宮で参拝後、公園にてマップを開き次の目的地探しをしていたひと時。 寺名のカッコ良さのみで少林寺をチョイス。 寺名から想像するのはやはりカンフー的な中国拳法。山門をくぐるや否や、ハッ!ハハッ!ズンズンボゴッ! と瞬殺されそうなイメージですが、少林寺拳法とは全く関係なく、小林という姓から小林寺となり、後に少林寺になったとのことです。 さらに調べてみると、ややこしいことに少林拳と少林寺拳法は無関係とのこと! カンフー的なヤツが少林拳で、少林寺拳法は戦後に日本で造られた武道とのこと。完全にごちゃ混ぜになっておりました! そんな事より、ミニマムサイズの境内の片隅に薄毛の竹林が生えており、そこに白蔵主稲荷明神が祀られておりました。 どうやら狂言と関係があるお寺らしく、狂言・釣狐はこの白蔵主の伝説を元に作られたものらしい。 今でも狂言・釣狐を上演する際は狂言師がこのお寺に参拝し、ここの竹を頂いて舞台で杖として使っているとのこと。 狂言の事は全く無知なので、説明板を読んでもいまいち心が踊りませんでしたが、いつか狂言・釣狐を見る機会があった時、 竹の杖が登場した際は『少林寺の竹じゃー』と感動できそうな気がして。その時がいつ訪れるのか楽しみにしながら生きていこうと思います! そんなこんなで参拝後、御朱印を頂く為に庫裏へ。残念ながら不在でした!そんなこんなで、2019年の御朱印巡りお寺編はズッコケスタート! ちなみにズッコケスタートは2年連続。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
■山門■
|
■山門■
|
■山門■
|
■本堂■
|
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
■白蔵主稲荷明神■
|
■白蔵主稲荷明神■
|
■白蔵主稲荷明神■
|
■白蔵主稲荷明神■
|
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
■庭園■
|
■つくばい①■
|
■つくばい②■
|
■つくばい③■
|