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寺町阿弥陀寺

■場所

京都府京都市上京区寺町通今出川上ル鶴山町

■由緒

1555年、清玉上人が近江国坂本に創建したのがこの寺の始まりらしい。 1563年、清玉上人が織田信長の帰依を得て、現在の上京区今出川大宮に移転したらしい。 1582年、本能寺の変の知らせを聞いた清玉上人は、本能寺にかけつけたらしい。 しかし、既に信長は自害しており、信長の側近たちがその遺体を火葬して隠そうとしているところだったらしい。 清玉上人は、火葬された遺体を法衣につつみ、本能寺の僧侶に紛れて戦場を脱出したらしい。 そして、織田信長、信忠や、本能寺・二条城の討死の者、家臣百余名の遺骸を持ち帰り、境内に葬ったらしい。 その後、明智光秀を討った豊臣秀吉が、清玉上人に信長の一周忌の法要を申し出るが、清玉上人は信長亡き後の織田家の乗っ取りに近い振る舞いであると非難し、 秀吉の申し出を断ったらしい。秀吉は、清玉上人から承諾を得られないまま大徳寺に総見院を建立し、信長の法要を行ったらしい。 秀吉は、清玉上人が贈った『天徳院殿華厳大居士』という信長の法名も、『惣見院殿大厳大居士』と変えてしまったらしい。 その後、天下人となった豊臣秀吉は、阿弥陀寺の所領を1/8の規模に縮小し、現在地に移転したらしい。

■参拝日

2014年2月9日

■日記

第48回 京の冬の旅で特別公開中の寺町阿弥陀寺に到着!織田信長像やお墓、信長ゆかりの品、丈六阿弥陀如来さんなどを拝観してきました! ホンマかウワサかわかんないけど、本能寺の変後、このお寺の住職が信長の遺骨を持ち帰って葬ったと伝わるお寺です。 そんなこんなで、信長のお墓に手を合わせる。もしその話しがウワサだったなら、私は一体誰に向かって手を合わせてるんだろう。 それにしても、めちゃくちゃお墓小さいな!それはさておき、参拝者の多さにビックリしました!やっぱ信長は大人気!

■ご朱印■

ご朱印

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第48回 京の冬の旅で
特別公開中!

■山門■


そんなこんなで、到着!

■山門■


■山門■


織田信長のお墓が
あることで有名なお寺です

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■山門■


山門をくぐると

■鐘楼■


■本堂■


浄土宗のお寺です

■本堂■


織田信長像や
信長が使用したといわれる
手槍や鞍覆などの寺宝
丈六阿弥陀如来さんなどを
拝観してきました

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■境内の風景■


本堂裏の墓地には
織田信長のお墓があるらしい

■墓地入口■


■墓地の手水舎■


■墓地の手水舎■


手水鉢には
織田家の家紋・織田木瓜

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■織田信長・信忠・討死衆墓所■


織田信長・信忠の墓


本能寺の変後
清玉上人が信長の遺骨を
持ち帰って葬ったらしい

織田信長・信忠の墓


右 → 織田信長
左 → 織田信忠
思ってた以上に
小さいお墓でした

織田家家臣のお墓


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森蘭丸・坊丸・力丸兄弟の墓


森蘭丸・坊丸・力丸兄弟の墓


右 → 森蘭丸
右から3番目 → 森坊丸
右から4番目 → 森力丸

■石灯篭■


■清玉上人の墓■


清玉上人は織田信長の遺骸を
持ち帰ったお坊さん

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■庫裏■


■庫裏■


玄関には
織田家の家紋・織田木瓜

■オリジナル瓦■


織田家の家紋・織田木瓜

■オリジナル瓦■


隙間にも
織田家の家紋・織田木瓜