和歌山県和歌山市和田
古事記&日本書紀によると、神武東征の際、孔舎衙坂(東大阪)で長髄彦の軍と激しい戦いとなったらしい。 その際、神武天皇の兄・彦五瀬命が流れ矢に当たって負傷したらしい。 彦五瀬命は『我々は日の神の御子だから、日に向かって戦うのは良くない。廻り込んで日を背にして戦おう』と助言し、 神武軍一行は南下(熊野へ)したらしい。 しかし男之水門(和歌山)に着いた所で、彦五瀬命の傷が悪化し『賊に傷つけられて死ぬとはーーーっ!』と雄叫びを上げて亡くなったらしい。 その後、竈山に葬られたらしい。そんなこんなで、この神社の本殿背後にある古墳が彦五瀬命の御陵らしい。 1585年、羽柴秀吉の紀州征伐により、社宝&古文書を焼失、社領の神田8町8段も没収された為、創建年などの由緒が不詳となったらしい。 1600年、和歌山藩初代藩主・浅野幸長が小祠を再建し、1669年に徳川頼宣が社殿を再建したらしい。 1915年、官幣大社に昇格したらしい。村社から官幣大社まで昇格したのは、竈山神社が唯一の例らしい。
2018年6月10日
神武東征の際、無念の死を遂げた神武天皇の兄・イツセさんのお墓があるという竃山神社に到着! 境内入口に立った瞬間から、格式の高いオーラをビュンビュンに感じて、背筋がピーン! 背骨の一本化、関節を2~3個失ったようなぎこちない動きで参拝を終えました。参拝後、境内にてイツセさんの御陵を探すも見当たらない。 って事で、神職さんに聞いてみると、一旦境内を出てすぐのところに御陵入口があるという。 御陵入口には鎖がかかってますが、鎖を外して御陵の目の前まで行ってもいいとのこと!そんなこんなで、イツセさんが眠る竈山墓に到着! うわ~、めっちゃ張り詰めた空気!もう全身が一本化!境内入口で感じた格式の高いオーラはここから噴射されてたんかな! もう神話浪漫ギンギンで感動の参拝となりました! ちなみに和歌山市内に鎮座する日前神宮・國懸神宮と伊太祁曽神社と竈山神社に参詣することを三社参りというらしい。 以前、日前神宮・國懸神宮と伊太祁曽神社の参拝は済ませたので、本日、5年半越しに三社参りを完結!なんかスッキリ。
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■境内入口■
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■鳥居■
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■狛犬①■
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■狛犬②■
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■参道■
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■手水舎■ |
■神門■ |
■神門■
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■拝殿■
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■拝殿■
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■拝殿■
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■拝殿■
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■幣殿と本殿■
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■青葉神社■
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■境内社■
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■境内の風景■
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■竈山墓■
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■竈山墓■
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■竈山墓■
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■竈山墓■
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■境内の風景■
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■境内の風景■
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■境内の風景■
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■境内の風景■
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■静火神社のご朱印■
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■静火神社のご朱印■
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