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熊野神社

■場所

広島県安芸郡海田町上市

■由緒

1026年、紀州・熊野大社を勧請したのが始まりらしい。 戦国時代、領主・阿曽沼氏が再建し、江戸時代には海田市の繁栄と共に総氏神新宮社として氏子万民の尊崇を受けたらしい。 広島藩主・浅野氏の信仰が厚く、鷹の羽の定紋を許された神社らしい。

■参拝日

2012年12月16日

■日記

本日は海田町をブラリ散策。そんなこんなで、旧山陽道(西国街道)を歩いてると、熊野神社に到着! 外からの見た目よりも、意外に広い境内。そして大きめの社殿。拝殿には浅野家の家紋の幕。 本日まで浅野家の家紋のデザインは小判だと思ってましたが、実は鷹の羽だという事を知る。 広島人としてお恥ずかしいあまり。そんな事より、思ってた以上に立派な神社だったので、ちょっち興奮。 そんなこんなで、拝殿へ。拝殿には絵馬などが飾られてました。絵馬に混じって、何とっ、我が広島東洋カープの選手の写真が飾られてました! オールドカープファンなら誰でもわかる名選手達の写真! その選手が着てるユニフォームのデザインを見ればいつの時代のカープなのか、カープファンならわかる。 昭和50年代の選手じゃ!その写真の額縁には、三村敏之・大下剛史が奉納したと書いてあるっ!1、2番コンビじゃ!広商コンビじゃ! 2人とも海田出身じゃ!カープファンならわかる。2人とも海田じゃけ、ここに参拝しに来よったんかのー。 カープファンならわかる、この興奮。ちなみに私は子供の頃、1度だけ大下にバッティングの指導をしてもらった事がある。 そん時に、センスがないと言われた事…傷つきつつも鮮明に覚えてます。さすが鬼軍曹、子供にも容赦ない! いい思い出です。三村の思い出は、監督時代の三村。なんであん時、優勝できんかったんや~!カープファンならわかる。 その他、日本人初のオリンピック金メダリスト・織田幹雄の額もありました!あの織田幹雄も海田出身だったとはっ!スゲーぞ海田! ちなみに、広島のローカルタレント・大松しんじも海田出身らしいです。

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■境内入口■


到着!

■鳥居①■


1787年建立

■参道■


■鳥居②■


末広がりタイプの
神明鳥居

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■手水鉢①■


橋の上にあります

■手水鉢①■


潮具橋とある

■手水鉢②■


■手水鉢①&②■


手水鉢が向き合ってます

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■狛犬①■


1825年作

■狛犬②■


構え獅子タイプの狛犬

■参道■


階段を上ると

■手水鉢③■


また手水鉢

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■拝殿■


速玉男神、伊邪那美神
奥津事解男神を祀る

■拝殿■


木鼻

■拝殿■


浅野家の家紋の鷹の羽
今までずっと
小判だと思ってました

■拝殿■


屋根瓦にも
浅野家の家紋

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■拝殿■


拝殿内には
奉納絵馬が飾られてます

■拝殿■


カープOBならびに海田出身の
三村敏之と大下剛史が奉納!

■拝殿■


広商の甲子園出場記念に
奉納されてます
三村敏之の名があり

■拝殿■


カープ初優勝記念に奉納

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■拝殿■


カープ愛満載

■拝殿■


カープ愛満載

■拝殿■


なんとっ
日本人初のオリンピック金メダリスト
織田幹雄の写真もありました

■拝殿■


織田幹雄も海田出身!

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■本殿■


熊野権現を祀る

■境内の風景■


境内社とステージ

■境内の風景■


あぶない角度で伸びる木

■境内の風景■


海田町を望むことが
できます

ひと足のばして
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■旧山陽道(西国街道)■


江戸時代、
大坂と下関を結ぶ主要道として
重要な役割を果たした道

■御茶屋(本陣)跡■


参勤交代の大名が
宿泊する施設があった場所

■御茶屋(本陣)跡■


現在は民家が建ってます

■千葉家住宅■


江戸時代中期建立
千葉家は江戸時代を通じて
天下送り役、宿送り役などの
役職を勤めてたらしい

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■三宅家住宅■


江戸時代建立

■胡子神社■


胡子神社の後ろには
胡子神社と全く同じ幅の建物

■胡子神社■


正面から見ると後ろの建物が
スッポリ隠れます
ちなみに鉄塔は火の見やぐら

■荒神社・恵比須神社■


向き合って建ってます
何気に珍すぃ