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熊野速玉大社

■場所

和歌山県新宮市新宮

■由緒

もともとは近隣の神倉山の磐座に祀られていたらしい。神倉山は熊野三所権現が最初に降臨した地らしい。 128年、現在地に遷座したらしい。 神倉山を元宮と呼ぶのに対し、現在地を新宮と呼ぶらしい。 奈良時代、孝謙天皇から日本第一大霊験所の勅額を賜り、熊野三山の中で1番早く熊野権現の称号を賜ったらしい。 平安時代中期~鎌倉時代、熊野信仰が盛んになり、多くの皇族&貴族が訪れたらしい。 1110年、白川天皇の御幸には総人数814人、1日の食料16石2斗8升、伝馬185匹を使用し、 御幸の道順は、京都→住吉→和泉→紀伊半島海岸沿いに南下して田辺→中辺路→本宮→熊野川を下って熊野速玉大社へ参拝 →那智山→雲取→本宮→往路コースを逆行して帰京するまで、20数日に及ぶ難行苦行の旅だったらしい。 室町時代、武士や庶民の間にも熊野信仰が広まり、男女や身分を問わず全ての人を受け入れることから、 大勢の人が絶え間なく参拝に訪れたらしい。その様子は『蟻の熊野詣』と呼ばれるほどだったらしい。 熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社を合わせて熊野三山というらしい。 2004年、世界遺産に登録されたらしい。

■参拝日

2014年8月13日

■日記

本日は熊野詣をしております。そんなこんなで、熊野三山の1つ、熊野速玉大社に到着!時刻は、すっかり夕方付近。 どうやら本日はここがラスト参拝になりそうだ。本当は熊野三所大神が天降った、摂社・神倉神社に行きたかったけど、時間的に無理くさい。 熊野古道とかの観光もしてみたかったけど、これまた時間的に無理くさい。どう願っても時間っちゅうヤツは止まらない。 そんなこんなで参拝後、授与所へ。なんと、摂社・神倉神社のご朱印がもらえるとのこと。そんなこんなで、神倉神社のご朱印をゲット。 行ってないくせに。なにはともあれ、これにて熊野詣、無事終了!

■公式ホームページ

熊野速玉大社公式サイト|和歌山県新宮市鎮座 根本熊野大権現 世界遺産 >>

■ご朱印■

ご朱印

熊野速玉大社

  • 熊野速玉大社
  • 神倉神社
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■境内入口■


到着!

■鳥居■


両部鳥居
鮮やかな朱色が眩すぃ

■参道■


神門に向け強引に
軌道修正したような参道

■手水舎■


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■神門■


熊野三山の1つ

■神門■


全国に約4000社ある
熊野神社の総本宮

■神門■


旧神門のものなのか
なんだか古そうな
彫刻が飾られてました

■神門■


神門をくぐると

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■本殿■


熊野権現を祀る

■本殿■


結宮と速玉宮

■本殿■


証誠殿と
若宮と神倉宮

■本殿■


禅児宮と聖宮と
児宮と子守宮と
一万宮と十万宮と
勧請宮と飛行宮と
米持宮

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■本殿■


ステキです

■境内社■


左 → 新宮神社
右 → 恵比寿神社

■新宮神社■


なぜかこの社だけ
瓦の入母屋造

■オガタマノキ■


高さ21m

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■境内社■


左 → 手力男神社
右 → 八咫烏神社

■梛■


樹齢1000年
梛としては国内最大
平重盛のお手植らしい

■奉八度の記念碑■


1708年奉納
江戸時代中期に奥州の
吉田金右衛門という人が
8度目の熊野詣の際に
奉納した記念碑

■神紋■


もちろん八咫烏

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■神宝館■


1000点以上の
お宝を保存展示

■神宝館■


鳩のような屋根瓦
多分、八咫烏

■神宝館■


神宝館前には
巨大な弁慶像
私が小さいだけなのか

■絵馬■


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■佐藤春夫記念館■


佐藤春夫は
大正~昭和に活躍した
詩人&作家
佐藤春夫の邸宅を
移築したもの

■川原家■


釘などを使わず
組立&解体が
簡単にできる
折り畳み式家屋